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卒業生の声

■卒業生の声

SEAの教育プログラムを修了し、大学・大学院等に入学していった方々の声です。
先輩たちの現地での学生生活、学習環境、海外生活の様子が伺えます。

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■就職者の声

SEAから大学・大学院等での学習生活を経て就職した方々の声です。
海外進学者たちの就職選択の多様さ、その後のグローバルな活躍の様子がわかります。

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2010.06.17

久保茉由子さん
■出身校/北星学園女子高校
■進学先/ニューヨーク州立大学ジェネシオ校
 



20100617_01.jpg着 くまえから飛行機に乗り遅れるという事態に遭いながらもなんとかGeneseoにたどり着いた日からもう1ヶ月たってしまいました。授業も本格的に始 まって今はペース作りにいそしんでいます。こっちでは着いてから何も無く平穏に過ごせた日は無いんではないかというくらい、いろいろな事があって楽しいで す。あと、たけとと一緒の学校なのでわからない事や面倒な事はいろいろ助け合ってこなしてます。

専攻のAnthropology(人類学)なのですが、ここに純粋にAnthropology専攻という人は今は20人ほどしか居ないそうで、今まで同じ 専攻の人には1人しか出会えていません。今取っている専攻関連の授業は一番簡単なレベルのはずなんですが約1ヶ月で既に200ページは軽く読んでますし、 1,000 wordsのshort essayも一つ提出しました。それに授業では教授が1時間15分ひたすら早口で話続けるのでいろいろ大変です。でもそれ以外の授業は今のところ着いてい けていると思います。

 20100617_02.jpg思っ た以上今はまだ授業も宿題も楽なのでいろいろな学校関係のイベントにも顔を出して楽しんでます。実はGeneseoに来る前からホームシックでした が、意外に実際来てしまうとあきらめがついたのか全くです。唯一ここは食べ物全般は残念ですが、景色のいい中朝から毎日いっぱい歩いて多分日本に居るとき よりも健康的に生活出来てます。それでは、これからも楽しくがんばります。

2010.06.16

進藤辰郎さん
■出身校/北海高等学校
■進学先/サウスウエストミネソタ州立大学
 



<留学前>

なぜ自分が留学したのか?英語を流暢に喋りたいから?世界を舞台にした仕事に就きたいから?はたまた留学を機に自分を変えたいから?それとも…??いろい ろ理由が浮かびますが、実のところ留学した理由は、恥ずかしながら少々ひねくれた、馬鹿げた理由なのです…。高校三年生へと進級すると共に進路指導が始ま る前にふと思った。何故大学に入るために入試試験を受けなければならないのか、と。だいたいこのような理由を述べるヤツっていうのは、頭が悪く、口だけが 達者のひねくれた性格でふさわしくない疑問を持つ者(多分)。そぅ、成績が悪くてこのままだとどこの大学にも入れないなと自分は心配になったのです。

そこで大学受験にケチをつけたわけのですが…どうしたものかと悩んでいる時に親が留学を仄めかしてくれました。そういえば高校一年の頃にカナダへ語学研修 に行ったことを思い出し、そしてこう思ったのです。「せっかく経験したのに無駄にはしたくない。」と。唯一成績の中で英語だけが突出していましたし、将来 は英語を活かした国際関係の職に就ければいいなと高校時代を通して考えていました。以来アメリカの大学のシステムを調べてみると、受験がない事がわかり 「これだっ!!」と思い、留学する事を決意したのです。

しかしTOEFLという英語試験(これが自分にとっては入試と変わらないが)がある事を知り独学できるものの、どこでテストを受ければいいのか、そして大 学にはどうやったら入れるのだろうと分からない事がまだたくさんあったわけです。どうすればいいのか悩んでいるときに、そうして出会ったのがSEAだった わけです。まぁ、簡単にいってしまうと留学の選択肢に出会えたのも、SEAに出会えたのも、現実から逃げた結果だったわけです…オ恥ズカシイ。 それからというもの毎日が英語漬けでした。でもSEAで出会えた仲間たちと勉強しあい、興味があるものは、覚えも早くまた効率的に勉強も進みました。問題 はリスニングでした。こればかりははかどらず、もちろんTOEFL®のリスニングの点数は一番悪かったですね。苦手克服のために English Liveや聞き取り&書き取りを頑張って…それでも結果は悪かったですね。

<留学中>

一番悪かったリスニングがやはり一番気懸かりでした。最初の試練は大学に行く前の飛行機内。単語だけを拾いなんとか機内食の注文し切り抜けたのですが、こ の調子だと大学でうまく生活できるのかと非常に不安に思いました。でも大学生活が始まると最初は留学生同士で集まり、友達になり、そして遠慮なくなんでも 言える仲になることに努め、英語、いわゆるスラングや英語のリズムなんていうのを教えてもらいました。

留学生だけに留まらず縁あって現地のアメリカ人とも仲良くなりキャンプに連れてってもらいました。やっぱり人付き合いって大事だなぁと実感しました。そし て日本にいるときよりも色々な人と接する機会が非常に多いことに気づきました。友人と話す内容は、最初は互いの文化の情報を交換したり、何が流行っている とか教えあったり、時には政治経済について話したりと、ご飯を食べながら談笑していました。専ら慣れてくると本当に他愛もない会話で笑いあっていますね。 一番楽しくて授業よりためになっていますね、正直友達との談笑は。

そんなこんなで友人と会話することで懸念していたリスニングは気づけば解消していました。でも人見知り&面倒くさい性格が邪魔をして友人とのコミュニケー ションが中断する時期もありました。それでも何のために留学しているのかと自問自答して自分を殺して会話に努めました。何度も自分を殺し続けると慣れ始め るもので、これが自然体になり人見知りの性格が薄れていくのをふと感じました。英語を使っているときの自分と日本語を使っている時の自分、まったく違いま すね。自分でも感じます。竹を割ったような性格になる感じ、多分ね。

来期は大学内でアルバイトをしてみようかと思っています。より人脈を広げて色んな人たちの考え方やアイディアを聞いて是非自分の見聞を広めたいと思ってい ます。あえて自分を苦境(苦境と言える程の環境ではないのですが)に身をおいて成長してみせることが来期の目標ですね。勉強も大事ですが、やっぱり人との コミュニケーションが一番ですね。

<現在&メッセージ>

高校時代の自分の目標と現在の目標は劇的に変化しています。当初は国際関係の職につけるためのキャリアとして留学を決意しましたが、現在はいくつかの細々 した目標に変わっています。かといって昔の目標を失ったわけではありません。留学を機に自分が変わると言われています。最初はボクもそんなはずねーだろっ て疑っていましたが、ボクは幾分であるけど変わった気がします。見聞が広まったからだと思う。今年、又は将来留学する方々、是非外国の方々と交流を深めて 新しい見聞を広めてください。

2010.06.15

渡辺友馬さん
■出身校/北海道札幌稲雲高等学校
■進学先/サバンナ・カレッジ・オブ・アート・アンド・デザイン
 



20100615_01.jpg<留学前>

僕とSEAとの付き合いは中学2年生からで、かれこれ6年近くになります。思い返せば留学に興味をもちだしたのは中学校の進路選択の時。ただ漠然と「自分 の知らない世界を見たい。」きっかけはそんな思いからだったと思います。親からの了解を得て、まずは英語力をつけるために SEAに通い始めました。あの時はまさかこんなに長い付き合いになるとは思いもしませんでした。

そうして高校2年の夏に初めてのアメリカへ。外から見ているだけでは見えないアメリカの内側見つめ、外からみた日本の素晴らしさも知りました。7月に帰国 するまでの一年間は本当にあっと言う間でした。高校留学が終わると次はいよいよ大学進学に向けてSEAでの勉強が始まります。はっきり言って、最初の頃は 自分の一年間の留学経験で得たと「思っていた」英語力を過信していました。実際にTOEFL®の勉強を始めると、自分の英語力なんてたいした事ないんだと言 う事を嫌と言うほど思い知らされました。吉田さんにも「謙虚になれ」と言われたのを今でも覚えています。それからと言うもの、TOEFL®の問題を解くのは もちろんの事、単語帳をつくったり、MDにリスニングの問題を入れて聞きながら高校も登下校したりと毎日がまさに英語漬けの日々。それでも嫌にならずに続 けられたのは最高の友達がSEAで出来たからです。自分と同じくらいかそれ以上に濃いキャラが勢ぞろいした教室は今でも思い出で一杯です。

TOEFL®の点数も取れてくると、同時進行で大学選びもスタートしました。ですが、僕が最終的に大学を選出したのは、他の人に比べてかなり遅かったように 思います。と言うのも、その頃の僕は自分が何をやりたいのか、全くわからなかったからです。アメリカの大学にしようと最初に思ったのも2年生の終わりくら いまでに専攻を決めれば良いとい点に惹かれたからと言う、どこか現実逃避の気がありました。だからこそ、大学選びは困難を極めました。そんな中、救い舟を 出してくれたのはやっぱり友達でした。 「友馬は絵を描いたりするのが好きなんだから美術系に行けば良いじゃない。」 その言葉に、ようやく目の前が明るくなった様に思います。

現在通っているSavannah College of Art and Design(SCAD)。中学の時にSEAのワークショップに行った時にキーホルダーを貰ったのが今思えば最初のきっかけだったのでしょう。僕は迷わず そこにアプライする事を決意しました。しかし、現実はそんなに簡単ではありませんでした。SCADは一年通して通うと実に400万円以上かかる私立大学。 母からは「奨学金年間250万円以上取らない限りは無理」と言われていました。それでも小さな望みにかけてポートフォリオを送って結果を待ちます。数週間 後に来た通知には5,000ドルの文字が。日本円では50~60万円ほど。全く足りませんでした。それから吉田さんとも話し合い、高レベルなコミュニティカ レッジや公立の大学に行って途中からトランスファーする手も考えてみようと言うことになり、他の大学にアプライする事になりました。

そしてアプライするための書類を送る当日。家のポストにはSCADからの書類が。中にはI-20と Congratulations!の手紙が入っていました。諦めていた大学からの急な書類に僕は混乱しました。急いでマキさんの所へ行って事の次第を説明 しました。そして、学費全額免除の奨学金がでた事を知りました。つか、ちゃんと自分で書類くらい読むべきでしたが。そんなこんなで僕は正式にSCADに入 学出来る事になりました。後で聞いた話だと、マキさんがかなり頑張ってくれたらしいです。本当に感謝と言う言葉では収まりきりません。

20100615_02.jpg<留学中>

在学中の僕に課せられた使命は、常にGPAを3.0以上キープする事。これは平均成績B以上を指します。マキさんに、「友馬君の事は心配して無いから。」 と嬉しい言葉を掛けられたにも関わらず、僕の心中は不安で一杯でした。SCADに着いてまず行ったのは留学生向けの英語テスト。そこで僕はESLを半年間 取ることを義務付けられました。

いきなり美術のクラスに飛び込むと思っていたので軽く拍子抜けしたのを覚えています。でもその半年間は緊張していた僕の気持ちをほぐすのに一役買ってくれ たように思います。その中で沢山の国から来た友達も出来たし、本番のクラスが始まる前に美術の知識を入れつつ、英語の勉強が出来たのはとてもプラスになっ たと思います。

今現在、心配していた成績もキープし、毎日充実した日々を送れているのは、僕を支えてくれている友達、SEAの職員の方々そして両親のおかげです。それら全ての人達への感謝の気持ちを込めて、これからも精進して行こうと思います。

<感想とこれから留学を目指す人達へのメッセージ>

今思うと高校留学はホストファミリーの一員となって、僕がいた地域に直接飛び込めたのが良い経験になったと思います。互いの違いを認め合う心と、筋を通す 生き方はこの一年で学びました。留学生活をする上で大切な事は、とにかく楽しむ事。確かに宿題が多かったり、上手く行かないこともあったりするのは事実で すが、それも全部ひっくるめて楽しめる気持ちが大切だと思います。僕は最初は上手く喋り出せなくて友達も上手く作れず、寂しい思いをしました。でも、こっ ちが一生懸命外国語を喋ろうとしているのを、アメリカの人達は受け入れてくれて、一生懸命聞いて、理解しようとしてくれました。そう言った相手を理解した いと思う気持ちは、誰にでもあるのだと僕は思います。

最後に一言。この道を選んで、本当に良かった。

2010.06.14

森本義謙さん
■出身校/北海道立札幌月寒高等学校
■進学先/ニューヨーク州立大学ジェネセオ校
 



20100614_01.jpg<留学前>

高校時代は英語の授業になると必ず数学か物理の問題集をだして自習するほどの根っからの英語嫌いでした。自分には、英語は異次元的教科だったので、留学と いう言葉なんて頭の片隅にもありませんでした。高校3年次の大学受験が終わって不合格という現実と向き合っていた頃、ちょうど姉がアメリカ留学から戻って きたところでした。姉の勧めにより人生の転機となるSEAとの出会いがありました。姉と一緒に訪れたSEAでは初対面の吉田さんに、第一声「大学受験失敗 に万歳」といわれました。自分は結構落ち込んでいたので、心のなかでなんて失礼な人なのだと思いました。今は新たな自分を見つける機会をくれた吉田さんそ してSEAスタッフに感謝しています。

高校卒業時の英語の能力は、たぶん中学生レベルだったので、SEAではとても苦労はしました。最初の挫折は、ショーンがはじめてかけてくれた言葉“元 気?”をどのようにかえせばいいのかがわからなく、おどおどしていたことです。そんな屈辱はもう二度と味わいたくないとおもったので、その日からひたすら 文法・単語・読解の猛勉強が始まりました。そのかいもあって、トイフルはジェネセオに入れるだけはとれるようになりました。しかし、SEAで地獄を見たの はそれからでした。トイフルの目標点数をとってからさらにSATとアカデミックスキルが時間割に加わったことで、毎日SEAに授業を受けに行くようになり ました。1週間に1~2回の徹夜はあたりまえでした。これだけ苦労したお陰で、ジェネセオでも徹夜は何度かあったのですが、徹夜をしてもがんばれる忍耐力 がSEAで備わりました。

20100614_02.jpg<留学中>

無事にジェネセオに入学した自分は、初日のオリエンテーションから周りの人たちとのレベルの差に愕然としました。同じ留学生であっても、みんな留学経験あ り、英語が出来てあたりまえの世界でした。会話スピードはいままでにないような速さでまったく会話についていけないというのが現状でした。そんななか自分 を救ってくれたのはサッカーでした。

ジェネセオの留学生担当の所長からジェネセオのサッカー部は強いから入部テストは難しいと言われていたのですが、幸運にも入部決定。サッカー部の仲間が自 分の英語が出来ないとわかると、日本では一度もおそわったことのない、発音の仕方などを丁寧に教えてくれました。自分はお返しに、得意の数学と物理で仲間 がつまずいているときに助けたりしました。米国に来て、助け合いにより自分の得意をもっと伸ばす事ができ、不得意を克服する事ができました。サッカー部の 仲間の助けのおかげです。そのサッカー部も創部50年間達成できなかった全米大会出場を4年間で2度も達成しました。先日ショーンと食事をしたとき彼が英 語マスターしたねと言ってくれた事がとても嬉しくて、努力してきたかいがあったと実感しました。

自分の専攻は、1年次から順調でした。アメリカの大学1年次の数学・物理レベルは日本の高校のそれとたいしたかわりがありませんでした。英語の話す事がで きない自分でも問題を読んで解くだけのテストはとても簡単で、テストでは常に上位にいることができました。1年次の物理・数学の成績も良かったせいか、1 年次から教授と研究をさせてもらえる許可を得る事ができ、卒業までの間、様々な研究をさせてもらい、取捨選択により自分の学びたい分野をみつけられたこと が大きな利点でした。そのほかにも、成績を維持することによって、家庭教師や実験指導員ができる選択肢を与えられ、アルバイトしながら将来の教育訓練が受 けられた事もとてもいい経験になりました。

<感想と抱負>

これからの留学生には恐れずになにごとにも挑戦してほしいとおもいます。自分も好きなサッカー部に入部し、物理を後輩たちにおしえるなど、交流を大事に し、自分のできることは何事にも挑戦しようと努力しました。結局、違う国から来て違う国の言葉をはなしているとはいえ、もとをただせば人間は人間。考える 事も似ているし、感じることもほとんど同じ。恐れずに自分を出す事によって、相手も信じてくれるようになり、人間対人間の関係が生まれてくるとおもいま す。 これからの自分は、いま留学を目指してがんばっている後輩に負けないようにもっと努力をし、ジェネセオの教授達がよく口にする言葉物理が一番をこれからも 頭の片隅にいれながらも、助け合いの精神だけはわすれずに、大学院で自分の好きな研究を全うしようとおもいます。

2010.06.13

櫻田一平さん
■出身校/北海道北広島高等学校
■進学先/トルーマン州立大学
 



20100613_01.jpg2 年間の大学生活を終えて一時帰国しています。帰国中も、かつて生徒として英語の勉強をしていたSEAで、アルバイトとしてお世話になっています。「留学 体験記」と銘打ってコラムを任されましたが、2年間を振り返ってみての感想と、少し自分について書いてみようと思います。

まずは今までの留学生活ですけど、一言で表すと大変でした。楽しかったことは間違いないんですけど、今はまだ楽しかったって言えないですね。というより 言ってはいけないと思います。難しいところなんですが、どうしても自分は「遊びじゃない」って所にこだわっているのだと思います。だから「楽しむ」ってこ とは付属なんですよ。やらなきゃいけないことをやって、その過程が楽しかったとか、やることが終わってから楽しもうというか、よく考えればつまらないよう に聞こえそうですけど、そうでもないんですよ。グループ学習で仲良くなった友達と話すだけでも楽しめるし、一緒にテスト勉強したりですね、それに案外勉強 以外のこともやってますしね。全て終えてから「楽しい留学生活でした、ありがとう」って言いたいんです。その時までとっておくことにします。

勉強以外のことですけど、去年は毎週土曜日の朝に剣道してました。自分が教えてるんですけど、なかなか興味ある人もいてくれて嬉しかったですね。こういう ところで、昔から剣道をやってて良かったなとも感じられました。それと去年から寮をでて、一人暮らしをしましたが、思ったよりなんとかなりますよ。 きっと留学は、どこのどの大学に行くかでまた変わってくると思うので、これからアメリカに行く人はどうなるか楽しみに思えるくらいの余裕と、困難にぶつ かってもうまく乗り越えていける臨機応変さを身につけて欲しいです。

20100613_02.jpgも う最後になりますけど、自分のことを少し書きます。きっと自分は負けず嫌いの、見栄っ張りなんだろうと思ってます。もっと言うと、マイペースだし納得い かないことをほっておけない性分みたいです。だから途中で投げ出したりする自分を許せないんでしょうね。前にも書きましたけど、今まで大変なことが多かっ たです。よく聞かれますが、なんでそんなに大変なことを続けていられるのか?と。答えは自分でもわかりません。結局大変でもやっぱり楽しく思っているのか もしれません。

ただ自分はひとつの考え方に固執することが嫌いです。海外にでて生きるうえでは大事なことだと思うんですけど、自分の考え以外とどう接するかということで す。多視点でものごとを見ていける人間になりたいんですよ。何かを前にした時、一度に全てを見ることはできません。だからそこから見えない部分をどうやっ て見るか、どうしたら見えるのか、少なくとも他の見方を理解しようと努力することはとても大事なことだと思います。今までしてきた英語の勉強、大学に入っ た後に学んだこと、得た友人も経験も全て特別で、誰にでも手に入るものではなくて、自分が直接手に入れない限り見ることができないものばかりです。そう いったものがこれからの自分を創っていくのだと思うとこれから手に入れるであろう、人間の「糧」も一級品が欲しいです。

2010.06.12

堀川那奈子さん
■出身校/北海道札幌東高等学校
■進学先/ニューヨーク州立大学ブロックポート校
 



20100612_01.jpg2007 年の8月からState University of New York at Brockportでアメリカ大学生活が始まり、すでに7ヶ月目に突入しました。時が経つのはとても早く、毎日が本当に充実しているのだなと感じます。 Brockportはカナダとの国境に近いニューヨーク州の北に位置し、北海道とはほぼ同緯度。3月になっても積もり続ける雪を見て、故郷が懐かしく思う 今日この頃です。誰もが口をそろえて言うように、1学期目は本当に大変でした。 日本人留学生が自分ひとりであることは正直嬉しかったのですが、不完全な英語のため思いを伝えきれない葛藤との戦いがしばらく続きました。さらに授業につ いていくため、そして課題等を終わらせるために勉強の毎日で、楽しみといえば、友達と出かけた気晴らしのLunchやDinner Timeだったように思います。

初めての寮生活もいろいろな出来事を体験しました。他の留学生と同じ階だったため国際色豊かな友達をたくさん作ることができ、寂しい思いもせずに過ごせた のですが、不運にもルームメイトに恵まれず、ものや大金を盗まれるという事件が起こってしまったのです。すぐに部屋を変えてもらえることができず、人を信 じることについてとても複雑な思いをしました。しかし起きてしまったことは仕方がなく、いつまでもくよくよしていられない。こんな思いをするために留学し たのではないという言葉で自分を励ましたのを覚えています。姉や友達の助けもあって、もとのプラス思考の自分に戻ることができ、これをきっかけに留学生活 でより強く生きることの大切さを知ることができました。

20100612_02.jpg冬 からオフキャンパスのアパートメントに移ることになり、その後自分の積極性がさらに高まったと思います。 冬休みはこちらに残り、2週間の冬のコースを取りました。その間、オンキャンパスでの仕事を始めることができ、現在もなお続けています。 2学期目の始めには、前から興味のあった大学内のミュージカルのキャストオーディションに挑戦し見事選ばれることができました。練習もさっそく始まり、忙 しい毎日を送っています。さらに先月、自分が専攻希望していたDance学部に入るためのオーディションを受け無事合格することができました。これはこの 大学を選んだ理由のひとつであったため、夢への新たな一歩を踏み出せたことを嬉しく思います。

以前に比べて、私は常にポジティブに物事を捉えるようになり、「やってみなくては何も始まらない」「何事も経験」という言葉を胸に、結果を恐れずいろんな ことに挑戦する勇気を身につけることができました。そして自然と夢の実現を想像している自分がいます。その夢は将来のことから小さな願い事までさまざまで すが、アメリカの大学進学を含め、その夢がひとつひとつ確実に現実となり、自分の思い次第で人生を変えられるのだということを今改めて実感しています。

20100612_03.jpg今 はちょうど中間試験の最中です。多くの資料やテキストを英語で読むのはいまだに大変ですが、Writingの書き方や Presentationの進め方などSEAでの経験が非常に役立っていて、Academic Skillsクラスでの授業内容の充実さにはとても感謝しています。 アメリカではグループプロジェクトなどの課題が多く、他の生徒との交流が頻繁にあります。論文を書くときにもグループメンバーとお互い励ましながら頑張る ことができ、辛い勉強も終わったときの達成感は喜びに変わります。こうして今までの経験を思い出していると、いかに自分の英語が上達したか実感することが できました。それは嬉しさとともに今後の励みにもなるでしょう。英語でコミュニケーションをすることが苦でなくなった今、自分らしさをさらに発信していく ことを目標にし、これからも多くの素晴らしい経験をしていきたいです。

2010.06.11

東野容子さん
■出身校/北海道大麻高校
■進学先/フレズノパシフィック大学院
 



20100611_01.jpgア メリカ留学を決めたのは高校3年の夏休み。 周りのみんなが自分の希望大学合格に向けて受験勉強に励む中何かやりたい事があるわけでもなくただ漠然とアメリカに行こうと思いその秋からSEAに通い始 めました。 英語が特に得意ではなかったので初めはESLをとりながらという条件で 高校卒業後すぐカリフォルニア州にあるフレズノパシィフィック大学に入学しあっという間に8年も経って、結婚し子供までできました。

小さい学校といってもアメリカの大学にはアメリカからだけでなく世界中から生徒が来ています。 私達留学生にとっては他の留学生に会う機会が多く国や文化は違っても家族や友達と離れてアメリカで勉強するという同じ環境で過ごしているので共感できる事 も多くアメリカ人より友達になりやすい気がします。 気付けば私はアメリカの文化や生活より他の留学生の文化や考え方に興味を持ち異文化学を専攻する事にしました。 また、友達の留学生と話してて気付いたのは日本人はとても恵まれているというこです。 私は初めに書いたようにただ漠然とアメリカに留学しましたが他の国からアメリカに留学するというのはとても大変な事だと知りました。 アフリカではどんなに優秀な生徒でも学生ビザをとるのがとても困難でとれても有効期限がたったの1ヶ月、長くても3ヶ月程度だそうです。 もちろん3ヶ月で大学卒業なんて無理なのでみんな3、4年アメリカで勉強を続けますがその間にビザが切れ期限を延ばす事も難しいので彼らは卒業まで夏休み もお正月も家に帰ることができません。 またアメリカと自分の国との貨幣価値の違いで学費や生活費を稼ぐために働きながら勉強している留学生もたくさんいます。 つまり他の国からアメリカに留学できるのは成績も優秀で経済的にもサポートのある限られた人だけなのです。 それを知って何の目的もなくなんとなくアメリカに来た自分が恥ずかしくなりました。 そして、私より優秀で将来性のある人にもっとアメリカで勉強するチャンスを持てるようにサポートしたいと思い留学生カウンセラーを目指すようになりまし た。

20100611_02.jpg大 学卒業後、留学生カウンセラーの仕事を探し履歴書を何枚も送りましたが1つの短大、大学、語学学校に教師が何十人いても留学生カウンセラーというのはせ いぜい4,5人という狭き門。 また多くの学校が留学生カウンセラーには大学院を卒業した人を好むため私はすっかり馴染んでしまったフレズノパシフィックの大学院に戻り教育カウンセラー を専攻しています。 卒業までもうすぐですが、今はそれまでに経験も必要だと思い短大の留学生センターでアシスタントカウンセラーとしてインターンをしています。 毎日他の留学生のニーズや相談に応えながら自分も頑張らなければと励まされています。 テロの後、学生ビザを取るのも難しくなりアメリカでの学生に対する移民法も年々厳しくなっていますが自分の経験と知識を生かして卒業後はアメリカに限らず 自分の国を出て勉学したいと頑張ってる人を一人でも多くサポートしてもっと多くの人に異文化に触れて欲しいです。 異文化を学ぶ事は自分の国や文化を考え直す事でもあると私は思っています。

2010.05.03

寺地美穂さん
■出身校/札幌国際情報高等学校
■進学先/ニューヨーク州立大学ニューパルツ校
■就職先/プロのサックスプレーヤー
→寺地さんのホームページ
→ここから寺地さんの楽曲が視聴可能です。
 



20100503_01.jpgア メリカ留学生活が始まってから1年半の今、私は日本に2度目の帰国中だ。 1度目の帰国時は日本を満喫する暇もなくアルバイトに明け暮れた。 だが今回は大学卒業後のことも考え、夏休み中の目標を持って日本へ帰ってきた。 State University of New York at New Paltzの2年生でJazz Studiesを専攻している私は、高校の吹奏楽部がきっかけで、アルトサックスの演奏を始めた。 それは今から5年半前のことである。 遊びで始めたサックスを、今では大学で専攻し、帰国中は札幌市内の某ライブバーやイベントなどで毎週2~3回、演奏をさせていただいている。

サックスにここまで熱が入るようになったのは、私の通う大学での、一人の師との出会いがきっかけだった。 Assistant Professorとして大学の講師をしていた彼は今、Dave Matthews Bandというアメリカのロックバンドのツアーに同行している。 2学期目を終えた後、ツアーから帰ってきた彼からの提案で、不定期の個人レッスンを受けさせて頂けることになった。 そのとき、短期間での急成長に感銘を受けたとの言葉をいただいて、正直、涙が出るほどうれしかったのを今でも覚えている。

元々は、音楽療法士を目指し渡米した私だが、教授の「音楽療法士はエンターテイナーじゃない」という言葉をきいたとき、私は療法士ではなく、もっともっと 人を楽しめる仕事がしたい!と思い、去年の暮れに専攻を変えた。 まともに人から教わったこともなく、ジャズ初心者の私は、できない自分が悔しくて、勉強の合間を縫っては練習室にこもり練習した。冷やかされたり、辛い思 いをしたりしたが、涙を飲んで「神様は乗り越えられる人にしか試練を与えない」という言葉を胸に、練習に励んだ。 その甲斐あって、今の自分がいるのだと信じている。

20100503_02.jpgそ んな先学期中、大学のHPで私を紹介していただく機会をいただいた。 2回のインタビューと写真撮影もしていただいて、できあがったページだ。 この話を推薦して頂ける一番のきっかけとなったのは、留学生アドバイザーや、留学生グループとの深い関わり合いだ。 2004年の4月に結成されたInternational Student Union(ISU)のSecretaryを約半年間勤めた私は、Publicityの一員として、先学期のイベントやパーティなどの広報役を任された。 ISUは私の通う大学で唯一の、留学生による、留学生のためのグループである。 そのISU結成以降最大のイベント"Summer Cultural Fair"が先学期のFinal直前に開催された。 私はステージ監督と広報担当として、このイベントに貢献した。 ステージでは私のアイディアで、歌の歌える、もしくは歌いたい留学生を探しだし、アメリカ人も含む音楽専攻の仲間を集め、バックバンドとして参加してもら うというものをメインに取り入れた。 このステージを成功させることができるかどうかが、私の中で一番の不安であり楽しみでもあった。 結果、日本、中国、Turkey、Ghana、France、Italia からの留学生がシンガーとして参加してくれた。 drums、guitar、base をアメリカ人の友達に任せ、piano を日本人の女の子、sax を自らつとめた。 楽譜のコピーやらリハーサルの準備やら、イベント前2週間くらいは狂うくらい多忙だった。 私はイベント前日にSymphonic Band の演奏会があったこともあり、疲れも限界だった。 それでも徹夜で挑んだCultural Fair は一回目にして大成功だったといえる。 ISUメンバー全員が、これからも毎年続けていきたいといっている。

 20100503_03.jpg「大 学はどう?」と聞かれ、「楽しい!」と答えると、勉強しないで遊んでばっかりなんだね、といわれたことがある。 でも私の場合、自分との葛藤も、真面目に勉強することも、留学生グループのリーダーとしての責任もすべて含めて、大学生活がとても充実していると感じてい るから、そう答えるのである。 留学が夢だった私にとって、留学生活は、夢の中を生きているということになる。 今は次の夢に向かって一日一日を大切に生きていきたい。

2010.05.02

吉田礼子さん
■出身校/北海道札幌開成高等学校
■進学先/イースタンコネチカット州立大学
■編入先/マッギル大学
■就職先/ユネスコ本部(UNESCO)
 



20100502_01.jpgSEA の皆さん、初めまして。吉田礼子です。 「題は何でもいいから」と言われて引き受けたものの、何について書こうかいろいろと考えた結果、「病欠」の意義の捉え方の違いという主題にたどり着きまし た。 主題について書き始める前に、まずは簡単な自己紹介から始めます。 SEAとの出会いは20年ほど前、私の小学校時代にまでさかのぼります。 遊び半分で習い始めた英会話が最初。 その後、高校2年のアメリカへの交換留学前の集中講座、そしてその後正規大学留学への準備など、吉田先生、藤岡先生をはじめSEAのスタッフの皆さんには 長年、すっかりお世話になりました。 私の最初の留学先はアメリカ合衆国オハイオ州。 その後の大学留学ではコネチカットへ。 3年間のアメリカでの生活の後、新天地を求め、カナダのモントリオールへ。 あれこれしているうちに、気がつくと、日本脱出から早11年! 「こんなはずではなかったのに。。。」と、ぴちぴちの10代の自分が、どうやって20代後半の「熟女」に変身したのか、自問自答の今日このごろです。 トホホ。

20100502_02.jpgさ て、話題を変えて、学問について。 私の専攻した科目は何とも地味な「人類学」。 こんなものを勉強したら、まっとうな仕事にはまずありつけないだろうと思いつつも、ただただ他文化の不思議に魅了され、あれよあれよという間に学部、修士 をしてしまいました。 「さあ、何時までも学生生活に甘んじているとだめだ」と自分に鞭をふり、1年間は働いてみたものの、学生生活の懐かしさのあまり、また大学院に戻りしまし た。 博士号のための奨学金応募の傍らに、賃金のもらえるインターンシップも悪くないかもなどという軽い気持ちで願書を出した先がユネスコでした。 大学在籍中ということで、正規就職することを考えていなかったのが功を奏でたのか、面接では緊張せずにすみ、半年後には内定をもらい、2004年度からパ リのユネスコ本部で働き始めました。 仕事内容は、様々な分野で活動を行っているユネスコの中の、「文化局」。 文化局は「世界遺産」に代表され、日本でもよく知られている部署で、その文化局の「開発と文化課」で、人類学的アプローチでのエイズ予防のプロジェクトに 就きました。 しかし、「私の取り組んでる博士号の研究とぴったりだから、勉強と仕事を一石二鳥で出来て、ラッキー」と思ったのもつかの間、3週間で内部移動。

20100502_03.jpg新 しい部署は対外協力局。 簡単に言えば、ユネスコにとっての外務省のようなもの。 私の仕事は、来年愛知で開催される愛知万博の準備。 留学してから日本語でものを書くことは、家族や友達に書く手紙だけという状態から、今や毎日日本語と英語をうまく使い分けなくてはならないという状況に急 転換。 幸運にも、とても立派な上司と良い同僚に囲まれての仕事なので、慣れないことだらけの中、毎日とても楽しく仕事をしていますが、本質的に「バイリンガル」 として、二言語を使いこなすということは大変なんだなあとつくづく思い知らされました。 日本関係の仕事内容ということで、ユネスコの日本人職員とはほとんど顔見知りになることが出来、いろいろとためになる助言をいただいたり、おもしろいお話 を聞きました。

中でも印象に残っているのが、「病欠」について。 ある日本人職員が日本に帰国されるというので、ユネスコ日本人職員10人程度でお別れ会を兼ね、昼食に出かけました。 そこで話題になったのが「病欠」の意義。 無事任期を終え帰国されるその職員の上司は、彼に「君は病欠を一度も取っていないが、いいのか?今年中に取らないと一定の病欠は来年まで持ち越しできない のは知っているのか?」と助言されたとのこと。 この話を聞き、我ら「日本人」は一斉に笑い始めました。 一部の人たちは、病欠をほとんど有給休暇の一部と考えられているようです。 その後、何かの機会に札幌の姉と電話で話をしている間に、有給休暇の話になり、日本では有給休暇は病気になった時につかう病欠でもあると聞きました。 文化の差をつくづく感じます。

2010.05.01

伊藤司さん
■出身校/北海道札幌開成高等学校
■進学先/ニューヨーク州立大学 ファッション・インスティチュート・オブ・テクノロジー
■就職先/DKNYメンズデザイン
 



20100501_01.jpg皆さんお元気ですか。

長い間ご無沙汰しています。 日本を発ってから早くも7年が経ち、何とか奮闘しながら毎日過ごしています。 渡米してから1、2年は自分でも恥ずかしいほど怠けてしまい、たくさんの人に迷惑をかけた事と思います。 カリフォルニアからNYへ移ってからの自分はもう後に引けない事もあり、別人のように夢中になって勉強しました。 でもその努力が認められたのか、学校の卒業展示会で運よくリクルーターの目に留まり、職に就くことができました。 今考えると、ほとんど不可能であろうと思いつつも海外でのデザイナーを夢みて日本を飛び出し、ここまでやってこれた事には自分でも正直驚いています。

 

今まで自分をサポートしてくれた人たちには感謝してもしきれません。 本当にありがとうございました。

 

これからは今の状況に満足する事無く、また一歩先の大きな夢を見て不可能を可能にしていこうと思います。

人間やればなんとかなると親に言聞かされましたが、その内を胸にこれからもがんばっていくつもりです。

またNYに寄ることがあれば連絡ください。

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