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2012.05.31

佐藤弘樹さん☆プロフィール

■ 高校:北海高等学校 卒業

■ 大学:北海学園大学 中退

  トルーマン州立大学(米国ミズーリ―州) 2012年5月卒業

 


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  2012年5月、トルーマン州立大学を卒業しました。 入学してから卒業までの4年間を振り返ってみれば早かったように思えますが、様々なことを経験し、そして学び、色々な人たちに会い、自分の人生において非常に意義のある4年間でした。 留学体験談を書くにあたって、何について書いたら良いか考えを巡らせました。 留学中に経験した沢山のことが頭に浮かびましたが、この短いエッセイの中に沢山の事を盛り込むことはできないので、この4年間における自分の精神的な発展に焦点をおいて書くことにしました。 


  そもそも自分がアメリカに留学しようと思った理由は、漠然とした言い方になりますが、日本だけではなく世界で活躍できる人間になりたかったからです。 北海高校の時は将来の計画を真剣に考えていなかったので、そのまま成り行きで北海学園大学に推薦で進学しました。 そんな事だったので、大学では勉強に意欲が湧かず、有意義な時間を過ごせていませんでした。 その一方で、子供の頃からの希望である世界で活躍できる人間になりたいという強い意志はあったので、それを実現するためには行動を起こさねばならないと思い立ち、学園大を辞めて、海外に行くために英語の勉強に専念しました。 そうした中で、インターネットで見つけたSEAと出会った事が人生の転機となり、アメリカの4年制大学への留学の道が明確になりました。 そして、2008年8月からアメリカのミズーリ州カークスヴィルにあるトルーマン州立大学への入学が決まりました。 最初にアメリカへ行く時は、自分の心の中に不安と喜びの両方がありましたが、喜びが勝っていたことを覚えています。


  トルーマン州立大学のあるカークスヴィルは田舎の小さな村ですが、アメリカでの生活を始めた当初は、見るもの全てが新しかったので、わくわくする思いで毎日を過ごしていました。 また、アメリカ人に囲まれて英語を話して生活するということが新鮮で、アメリカ中西部の文化の中で生きることを楽しんでいました。 それに加え、諸外国からの留学生との交流も素晴らしい経験でした。 トルーマンでの勉強は厳しいものでしたが、それでも週末はパーティやバーに行って友人や知り合いと社交の場をもうけて、勉強する時は勉強し、楽しむ時は楽しむというのが、トルーマンでの日々だったと思います。 今まで約4年間アメリカで生活してきましたが、そこでの生活に慣れていくにしたがって、当初の胸が高鳴るような思いはだんだんと薄れていきました。 1年が経つ頃には、自分がアメリカで生活している事が当たり前の現実となり、3年目から4年目になるまでには、トルーマンでの人間関係は自分にとっての世の中となっていました。 その一方、4年目までには、自分の人生において前進するために、慣れ親しんだトルーマンを去って新たな段階に進みたいという思いに駆られていました。 この4年間は、色々な事を経験し、色々な人々に会い、沢山の事を学んだという意味で濃厚な時間であり、自分にとって大きな発展を得ることができた時期であったと捉えています。 それについて、「多様性への理解」、「日本のアイデンティティの構築」、「リーダーシップ観」の3つの側面から書き、最後に「新たな旅」で締め括ります。
  

まず留学の中で、自分を高める上で、そして人生や人間社会について考える上で大きな役割を果たした事は、色々な人々との出会いを通して「多様性への理解」を深めたことにあります。 トルーマンのあるカークスヴィルは田舎の小さな村で、トルーマンに在学するアメリカ人の多くは地元ミズーリ州内の都市であるセント・ルイスやカンザス・シティの出身なので、アメリカ人の人口構成に多様性があるとは言えません。 しかし、日本の札幌出身の自分にとっては初めて異文化の中に住むことなので、多様性への理解の一歩であったと言えます。 また、アメリカ人だけでなく、トルーマンは留学生の獲得に熱心なので、様々な国々からの人々との交流が自分の理解への刺激となったのでした。 トルーマンにはネパール人と中国人の留学生が特に多く、その他、韓国人、インド人、インドネシア人、ブルガリア人、フランス人、ドイツ人、ナイジェリア人、ガーナ人など、様々な国々の人々が勉強に来ています。 日本人の留学生は比較的少なく、自分が在籍した4年間毎年7人前後で推移しました。 日本の札幌で生活していた時は多種多様な人々と交流する機会は無かったので、トルーマンで様々な文化から来た人々と会って話すことが日常になった事は、良い意味で衝撃的であり、自分の人生において劇的な変化でした。 トルーマンでの生活を始めたばかりの頃は、多様な異文化との接触が自分の人生において新しい経験だったので、とても楽しく、わくわくする思いでした。 何ヶ月か経って、自分のおかれた状況に慣れて興奮が冷め始めると、多様な異文化への別の感じ方も心に出てくるようになりました。 どんなことにも長所と短所があり、好きな面と嫌いな面があるように、やがて異文化に関して自分が好きだと思う事と嫌いだと思う事を認識するようになりました。 例えば、アメリカ人やネパール人は本当に友好的、社交的で、自分が友好的に振舞っていれば、すぐに友達になれるという点は素晴らしい事で、自分が好きな面でした。 その一方で、幾つかの国々には、日本人のような繊細な気遣いや上品さを美徳とする文化が無いので、その事に関しては自分が日本の方が良いと思う面でありました。 多様性を知ることで、物事を多方面から理解する能力を高め、それを自分の人生の糧にしていきたいです。
  

トルーマンでの生活を通して「多様性への理解」を深めた事は、自分の人生や将来について考える過程でも、重要な意味をもちました。 大学を卒業した後の事を考える上で、多種多様な考え方や生き方を知ったがゆえに、自分の中での選択肢が増えた反面、迷うことも増えたのだと思います。 当然ながら日本でいう就職活動を視野に入れながらも、アメリカまで来たのだから、日本で一般的な考え方だけに固執するつもりはありませんでした。 アメリカ人と話し、諸外国からの留学生と話し、本当に千差万別の人生の歩み方や将来の計画を聞きました。 一方で、カークスヴィルにいる他の日本人とも話しました。 自分は大学院に志願する一方で、ボストン・キャリア・フォーラムにも行ったりして仕事も探していました。 それは色々な選択肢を考えておきたかったからです。 しかし、いろいろ経験した後、現在のところ、アメリカかヨーロッパの大学院に行って自分の専門である政治学と経済学を極めようと考えています。
  

「多様性への理解」を深めた一方で、異文化や異なった価値観との交流や接触は、自国である「日本のアイデンティティの構築」に繋がったのでした。 アメリカに住むことによって起こった心境の変化の中で大きな事の一つに、日本への想いが強くなったことがあります。 これは自分だけに特別のことではなく、おそらく多くの海外在住の日本人の心中に起こる現象だと思いますが、異文化の中で生きることによって自国のアイデンティティをより強く意識するようになりました。 日本国内で生活していると、外国の存在を身近な物として意識することは無く、日常の中で自分が日本人であるということを深く考える機会はあまり無いと思います。 しかし、アメリカの大学で生活し、アメリカ人だけでなく、中国、インド、ネパール、それからヨーロッパ諸国やアフリカ諸国など、様々な国々の人々と交流すると、まずは自分にとって新しい異文化との接触による興味、関心、そして興奮を覚えました。 それから、異国や異文化の存在を肌身を持って実感することにより、異国と自国を比較して考えることが自然に多くなり、自分が「日本人」であるというより明確なアイデンティティが心に芽生えました。 異国の地で日本の歴史や文化について改めて思いを巡らし、尊敬の念を抱き、海外に住んでいるからこそ日本の美しさや素晴らしさに気付かされる事も多いです。
  

何において母国のアイデンティティを持つかは、人それぞれ考えが異なることでしょうが、自分にとって、日本のアイデンティティの中で特に重視しているものは、武士道を中心とした日本の伝統的な精神文化です。 自分はミズーリ州にしか住んだことがないので、アメリカの他の地方の事はよく知りませんが、少なくとも自分が住んでいる地域のアメリカ人の中で生活していると、キリスト教文化との接触がしばしばあります。 アメリカ人の中でも何を信じて生きているかは人それぞれ多様ですが、キリスト教を堅固に信じている人々も少なくありません。 自分がアメリカへの留学を考えながら日本で生活していた時は、アメリカ社会におけるキリスト教の影響などを深く考えたことはありませんでした。 実際は、アメリカ社会でキリスト教の影響は大きく、多様な社会問題においてキリスト教の価値観がアメリカの民主主義政治に反映されることは大いにあります。 自分としても、日常生活の中でキリスト教を信じている人たちと会話し、彼らの意見や価値観を聞いたことは、とても興味深く、そして衝撃的でした。 キリスト教を信じている人々は、その教義を彼らの倫理観や世界観の根幹に位置付けています。 アメリカ人のキリスト教文化の他に、諸外国からの留学生の文化における世界観や人生観も聞きました。 色々な異なった価値観を聞くと、日本の文化とは何かという事を深く考えるようになりました。 結果として、自分は日本の文化の根幹は武士道にあるという結論に達しました。 日本の文化にはキリスト教のような一神教的宗教観に裏付けされた倫理は存在しないと思います。 その代わり、日本にはその歴史の中で培われた伝統の中に道徳があり、武士道精神がその根幹を成しています。 自分はアメリカでの生活を通して異文化や多様性への理解を深めた一方で、日本のアイデンティティを強固にするにいたりました。 武士道を中心とする日本の伝統の精神文化は、これからも日本人が守っていくべきものであり、世界に誇れるものだと思います。
  

もう一つ特記したい事に、自分の中での「リーダーシップ観」の構成があります。 この4年間の中で、リーダーシップや人間関係について考える機会は幾度もありました。 その中でも自分が重要な経験として捉えている事の一つに、アメリカ陸軍の士官養成プログラム(Army ROTC)の訓練に4ヶ月ほど参加した経験があります。 アメリカでは、大学で国軍や州軍の士官候補を現役大学生からリクルートするROTCというシステムがあり、トルーマンにも国と州の陸軍のROTCがあります。 自分は、面白そうだったので、ROTCのMilitary Scienceの授業課程を履修しました。 Military Scienceの授業の一環として早朝の身体訓練に参加したとき、米軍の訓練服を着たアメリカ人の士官候補生たちを見て、トルーマンでの勉強のかたわら厳しい訓練をつむ質実剛健の精神に感銘を受けました。 自分も文武両道を磨きたいと思い、トルーマンの4学期目に実際に陸軍仕官候補生たちと同じ訓練プログラムに非公式で1学期間参加することにしました。 月曜、水曜、金曜の朝6時に身体訓練をして、毎週木曜日の夕方、実際に米国陸軍の軍服を着て近くの森に戦闘訓練に行きました。 2回ほど山での泊り込みの訓練もしました。 食事は実際に米軍兵士たちが食べるパックに入った即席軍用食でした。 夜は皆で寝袋を使って山の中で野宿をした事もありましたが、凍えるような寒さでした。 山での訓練では、敵軍基地をモデルライフルと偽の手榴弾を使って襲撃する訓練を何度も繰り返しましたが、非常に楽しかったです。 通常ではできない貴重な体験をさせてもらえて、ROTCの教官や同期の士官候補生たちには感謝しています。
  

しかしながら、この軍事訓練の体験をあえてここで書いたのは、単に珍しく興味深かったというだけではなく、自分の人生に役立つことを学べたからです。 ROTCの教官たちは、Military Scienceの授業と訓練を通して、生徒に教えることとして、良きリーダーシップを最も重視していました。 自分のクラスの教諭は陸軍中佐の階級の人でしたが、とても優しい方でした。 彼は、自分が非公式でROTCの訓練に参加することを快諾してくれ、訓練の事について親切に教えてくれました。 中佐とは、クラスでリーダーシップに関する論文を書く時や、早朝の訓練、山や森での訓練の時など、何度も話したことがありました。 彼からはリーダーと部下との間の信頼関係の重要性、過酷な状況での忍耐力、そして正直と誠実の美徳を学び、その軍人精神に感銘を受けました。 士官候補生たちも、訓練の際、自分に親切に教えてくれ、自分を部隊の仲間の一員として扱ってくれました。 Military Science で教官や士官候補生たちとの交流を通して、良きリーダーシップとしてチームの中の信頼関係を築くことの重要性を学びました。 それは、軍隊の中だけでなく、将来どんな仕事をするにしても人間関係において役立つことだと思います。
  

 

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トルーマンを卒業した今、自分は「新たな旅」に出なければなりません。 この4年間では本当に色々な事があり、多様な経験と沢山の人々との出会いを通して、人生に役立つ多くの事を学びましたが、それらは全て自分の将来への「新たな旅」に活かしていかなければなりません。 上述した事柄は、自分が経験した事のほんの一部でしかありません。 楽しい事があり、苦労した事もあり、幸せな時があり、嫌な思いをした時もあり、それら全てを経た上で今の自分があります。 前述したように、今のところ、アメリカかヨーロッパの大学院に行き自分の専門である政治学と経済学を極めたいと考えています。 「多様性への理解」を深めた事、そしてこれからも深めていく事で、多方面から物事を分析する能力を高め、それを自分の人生における問題解決に役立てるべきだと思います。 「日本のアイデンティティの構築」の意義は、自分にとっての1つの人生観を見出した事だけでなく、自分個人として生きる事に加えて、自分が社会や国家の中で生きている事の意味を自分なりに理解した事にあります。 今の段階で、自分の人生の最終的な職業が何かを明言することはできませんが、どんな仕事をするにしても、自分個人と家族のため、そしてそれを超えて社会や国に貢献できる生き方が理想的なのだと思います。 「リーダーシップ観」とは、単にリーダーがいかに部下との良好な関係を築けるかという問題ではなく、人間一人一人がチームとして社会としての利益を追求する事だと思います。 人は皆生きるために個人の利益を追求しなければなりませんが、時としてそれを超えてチーム、会社、社会、国など公の利益を考えて決定、行動する事がリーダーシップなのだと理解しています。 自分はまだ若いので、これからも色々な事を学んでいくのですが、今のところ、上記の要素を大事にして「新たな旅」に活かしていくつもりです。 

2012.05.11

鎌田知里さん☆プロフィール

■札幌国際情報高等学校卒業

■サウス・ミネソタ州立大学卒業

■Pasona MIC就職 (Pasona米国法人と米国三菱商事会社の合併会社)

 


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私は現在アメリカミシガン州の日系企業でリクルーターとして働いています。まさか自分がこんな土地でこんな仕事をするなんて、留学を決めた当初は全く想像もしませんでした。

そもそも私が留学した理由ですが、いくつかあります。まず、日本の大学へ行くには専攻を決めて受験しなければなりません。高校生の時には将来どんな仕事がしたいのか、世の中にどんな仕事があるのかも全くわかっていなかったので、専攻なんて決められるはずもなく、進路調査票を“未定”のまま出し続け、2年生の時に親にも担任にも、しっかり将来を考えろと怒られました。ならば専攻の変更が途中でも可能なアメリカの大学へ行こうと思ったのです。もちろん理由はこれだけではありませんが、これが一番大きな理由でした。

この様に特に将来の大きなビジョンもなく、ミネソタ州のトウモロコシ畑の真ん中にある田舎の大学に入学しました。大学を選んだのも、学費が安かったからというだけの理由でした。

 

入学当初は教育専攻でした。なぜかというと、なんらかの目標や将来どうしたいのかというビジョンを先生や親に求められ、私が考えた末に出した結果が“アメリカで日本語を教える”という目標だったからです。一番初めの学期には地元の小学校で教育実習も経験しましたが、やはり何か違うと感じました。ではいったい自分はなにをしたいのだろうという漠然とした疑問をかかえ、どうしたらいいのかわからなくなってしまったのです。自分が当初考えていた”アメリカで日本語を教えたい”という目標は、周りに焦らされて無理やり作り上げたもので、それが自分のやりたいことであると思い込んでいました。そこで2学期目早々将来の目標を見失い、ただ勉強とアルバイトに追われて生活する日々が続きました。しかし、そんな中で私は多くの人と出会ったのです。

 

私の友人には、ネパールやアフリカの国々など貧困国からの人たちが多く、その人たちの考え方や境遇には驚かされました。ある人は村中の期待を背負い、その村から経済的支援を受けて留学してきた人もいました。難民としてアメリカに移住し、国に帰りたくても帰れない人もたくさんいました。メキシコから来て家族に仕送りするだけのために1日中レストランで働く人たちとも出会いました。その人たちに会って話して仲良くなって、世界には本当に色々な境遇の人たちがいて、色々な生き方があるのだと感じました。この様な色々な刺激を受けながら忙しくも楽しい日々が過ぎ、あっという間に卒業後のことを考えなくてはならない時期になりました。教育専攻を辞めてからは、アドバイザーに無難だからと勧められたビジネス学部という大きなくくりに変更しましたが、3年生になるまで専攻を決められずにいました。

 

これまでに色々な人と出会い、多くのことを学び視野が広がったといっても、将来どうなってゆきたいかは見いだせませんでした。なんとなくマーケティング専攻とは決めたものの、卒業後どんな仕事に就きたいかは全くわからないまま就職活動を始めました。その当時は何でもアプライできそうなものにアプライをし、ただボストンキャリアフォーラムや大学のキャリアフェアに参加するだけでした。こうして卒業の日だけが迫り、精神的に焦り続ける一方だったのです。

 

そんな時に人材紹介会社のリクルーターから声をかけられ、“うちの会社でリクルーターのポジションが空いているけど興味ない?”という話を持ちかけられ、あっという間に決まったのが今の仕事です。この仕事を紹介された時は、自分の中で“これだ!”という感覚があったのを覚えています。私のように仕事を探している人の役に立てる、つまり人の人生を左右する大事な役割を果たす、なんて素敵な仕事なんだろう!と本当にわくわくし、絶対にやりたい!と思えました。

今の仕事を始めてから約1年4か月が経ちますが、もちろん今でもこの仕事にやりがいも楽しさも感じます。けれども正直な気持ち、最近あの教育実習を終えた時と同じ感覚が芽生えてきています。だからと言って、専攻を変えたように簡単に仕事を変えることはできません。そこでまた私はどうしたらよいのだろうという、漠然とした疑問に苛まれているのが現状です。もう1度大学に行きなおそうか?でもその場合は何の専攻で?もしくはMBAでも取ろうか。でもなんのため?1から自分探しに出るため、仕事を辞めて世界を放浪してみようか?など色々なことを考えます。

リクルーターとして仕事をする今、学生だったころよりも社会とはどういうものか少し見えてきました。様々な企業にある数多くの仕事を知り、色々な経歴を持つ求職者と話をし、大げさというか当たり前かもしれませんが“人生こんなに色々な生き方があるのか!”と最近つくづく実感しています。

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留学を経て、この職業に就いたことによって確実に自分の視野は広がり、考え方もものの感じ方も知らず知らずのうちに変化していると思います。しかし、沢山のことを見て学んで実感しても、結局まだ自分が本当に何をしたいのかは見つけだせていません。その理由の一つには、色々見すぎてしまったことがあるかもしれません。だからと言って、自分の選択した道を後悔は全くしておらず、むしろ留学して本当によかったと思っています。

 

ぼやけた現状に焦りつつも、色々なことに携わり色々な人と出会うことにより、自分の生き方を変えるきっかけを見つけだすことができる気がしています。もちろん本当に自分のやりたいことがはっきり見えている人はその目標に向かって頑張ることはできますが、そうでない私の様な人はまずそのきっかけを見つける努力をすればいいのではないでしょうか。なにをきっかけと捉え、どう行動を起こすかは自分次第だと思います。私の就職が決まった時のように向こうからやって来ることもあれば、留学を決めた時のように自ら踏み出さないと始まらないこともあります。

 

だから私は小さなことでもひとつひとつを大事にし、自分を前進させる“きっかけ”と出会うチャンスを創っていきたいと思います。

2012.04.25

393405_2508163136996_1040588195_2865984_887844888_n.jpg井田理さんのプロフィール

■出身校/東海大学付属第四高等学校

■進学先/Sierra College

■編入先/Los Rios College

■編入先/California State Polytechnic University Pomona

■インターンシップ先/SGV Music Magazine
 


                                                                            

初めまして井田です。今回初めて体験談を書かせてもらう機会が頂けて光栄です。SEAを旅立ったのはもう4年くらい(?)前のことです。私がSEAに出会ったのは高校3年生の時でした。3年生になっても特に進路が決まっていなく、ただ昔からの夢だったアメリカ留学をしたいなあと漠然に考えていました。そんな時に担任の先生がSEAのことをホームルームで紹介してくれ、試しにカウンセリングに行ってみようと思い、カウンセリングに行きそのままあれよ、あれよというまにTOFELコースを受けることになりました。それまで真面目に勉強してなかったので(笑)、TOFELやアカデミックコースの勉強は本当に大変でした。朝までかかって宿題を終わらせることもしょっちゅうでした。でも、あの辛い時期があったからこそアメリカに来てからあまり戸惑うことなくこっちの授業に溶け込めたと思います。

 

日本にいる時は「アメリカの大学で学位を取りたい!」という目標は特になく、ただただアメリカに住んでみたい、新しい環境に自分を置いてみたいとしか考えていませんでした。ダンスを小さい時からやっていたり、音楽が好きというのもあってエンターテイメントが盛んなNYとカリフォルニアの短大、大学にアプライし、カリフォルニアはサクラメント郊外の小さい町の短大に行きました。初めに決めた専攻はなぜかグラフィックデザインだったのですが(笑)、アメリカに来てから何か違うなと悶々してました。

 

そんな時にサクラメントの別の短大にMusic Businessというメジャーがあるのを知りました。学校のカリキュラムには音楽ソフトウェアを使った作曲、レコーディング、音楽ビジネス関係のクラスなどそれまでずっと興味のあった分野のクラスが豊富で、その事を知った時から「自分がやりたい事はこれだ!」と確信しました。それまではなかなか口にはできなかったのですが高校生の頃から興味があり、いつか勉強したいと思っていました。探してみるとカリフォルニア州のいくつもの短大に同じような専攻またはクラスがあることもわかりました。日本ではどちらかと言えば専門学校で勉強するような分野なので、アメリカの大学、ましてや短大にそのような専攻があると知って驚きました。最初の短大には同じような専攻やクラスは無かったので、1年通った後にサクラメントの短大に編入しました。学校の編入手続き、引っ越し、英語もまだ十分に喋れなかった時に今までやったことのなかった事を自分1人でしなくてはいけなくて大変でした。周りの人が何でも手伝ってくれていた日本のいた時とは違い、あの時は自分しかいない焦りと「今ここで何とかしないと自分のやりたいことができない」と必死だったので乗り越えることができたのかなと思います。

 

勉強でも何でもそうですが、アメリカに来てから「その気になれば何でもできる」って事を日々体感しています(笑)。編入先の短大で2年半ほど過ごし、そして去年の9月にようやくロサンゼルスにある4年生大学のCalifornia State Polytechnic University Pomona に編入しました。音楽業界の中心であるロサンゼルスに住む事はずっと夢だったので実現できてほんとに嬉しいです。ロサンゼルスは本当にエンターテイメントが豊富で毎週のように様々なアーティストのショーがあります。大学ではMusic Industry Studies を専攻しています。北カリフォルニアから南カリフォルニアへの大きな引っ越しでしたが、この編入が良い転機になっていると思います。サクラメントにいる時は音楽業界に憧れているだけだったのが、音楽業界の中心であるロサンゼルスではこの7ヶ月の間だけでも様々な機会に恵まれたくさんのことを学んでいます。

 

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ここに来てまず最初に学んだのは音楽業界ではあまり学歴は気にされないということです。重要なのは「経験」と「人脈」です。教授や同級生から在学中からインターンやボランティア等をして下積みと人脈を作るのがいかに大切かを教えられ、それまでのんきに考えていた自分はハッとしました。その時の自分には経験も無ければ、ネットワークも無い。それではいくら良い成績で卒業しようが、大学の学位を取っても音楽業界ではやっていけない。その時から常に人とのネットワークやボランティア等を意識するようになりました。私は去年から参加している学校のMusic Industry専攻を中心にした学生連盟を通してヒップホップやエレクトロ系の野外音楽フェスティバルでボランティアとして働いています。ロサンゼルスは音楽フェスティバルやコンサートが盛んでアーティストのラインナップも豪華です。そんな全米から見ても規模・知名度が高いフェスティバルでのボランティア経験はとてもやりがいがあります。ほんの少しの力でも、一緒になって1つのフェスティバルを成功させる感覚を味わえるからです。同じ時期から連盟のプレジデントである同級生の紹介でオンライン音楽雑誌でインターンも始めました。インターン先では音楽に関する記事を書かせてもらったり、世界でも最大規模の楽器・音楽機器の展示会であるNAMM Showでカメラ片手にポールリードスミスやプロツールを作っているAVIDなど大手の音楽メーカーにインタビューをしたりとエキサイティングな経験をさせてもらっています。その展示会での出会いがきっかけでアンプ等の音楽機器で有名なFocusrite社との製品デモンストレーションを私の学校で実現することもできました。また学校にてキャンパス内の音楽イベントを企画・運営する連盟にもボランティアとして参加しています。この前の学期ではキャンパス内で行われたライブのアーティストのブッキングを初めてさせてもらいました。アーティストの方から「楽しかった」とお礼を言われたり、ライブを見てくれた人達から「すごい良かった」と感想をもらえたりしてやっぱりやりがいのある仕事なんだな〜と改めて思ったり。最近、夏休みに新しいインターンシップをしようとしていて履歴書を作成中なのですが、数ヶ月前までは特に書く事も無かったのに今では十分に履歴書を埋めれるくらい書けることがあって自分でもびっくりしました。

 

アメリカに来て感じる事は「行動力」、「出会い」、「努力」の大切さです。特に私たち留学生は家族も友達もいない場所で生活を始めるので、何かを変えたいとかやりたいと思った時、自分で動かなければいけません。こっちに来てから何をするにも自分次第なんだなと感じます。留学中は出会いもたくさんあります。最初のうちは英語が上手く喋れなくておとなしくなるかもしれません、でもなるべく積極的に行事に参加したり、会話に入ってほしいです。私も最初の頃は同じ席にいてもあまり会話に入ろうとせず、あの時もっと積極的だったら広げられた出会いもあったのにな〜と思ったりします。なので、1つ1つの出会いを大切にしてほしいです。勉強で言えば、私は頭は良くないですが、アメリカでは特に問題なくやっていけてます。英語でペーパーを書いたり、教科書を読むのは難しいし、労力も使いますが時間をかけてわからない事があればクラスメートや教授に聞いたりしてやればちゃんと乗り越えられます。高校で赤点ばかりだった私も今ではPresident’s Honor Rollと言ってある程度良いGPAを保ってる人に送られる賞を毎学期のようにもらってます(笑)。なので勉強は努力次第だと思います!

 

今、ここアメリカで大好きな音楽に囲まれて留学できて本当に幸せです。留学のきっかけを与えてくれたSEA、そして留学を実現させてくれた両親に感謝です。

2012.04.03

金山雄大さん

■出身校/札幌開成高等学校

■進学先/ニューヨーク州立大学オネオンタ校

■編入先/ニューヨーク州立ファッション工科大学

                                                                                      


皆さんこんにちは、そしてお久しぶりです。

キャロルさんもう一度僕に体験談を書く機会を与えていただきありがとうございます。前回書いたときよりもたくさん書くことが増えました。そして今ならもっとみなさんに役に立つようなことが書けそうです。

 

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こちらSUNY Oneontaで勉強を始めて3年と半年がたちました。ここでの生活も今学期が最後です。次学期はうまくいけばNYCにあるFIT(Fashion Institute of Technology/ニューヨーク州立大学ファッション工科大学)に編入です。入学前に描いていた目標が無事達成しそうです。そして最近は新たな目標ができました。この体験談の最後に書かせていただきます。

 

前回の体験段に書いた通り留学生活を充実させるかは自分次第ということは今でも強く感じています。強調したいことは、何かやりたいことがあれば諦めないでやりましょう。こっちの大学正直なんでもできます。本当に何でもです!

 

アメリカに来る前はアメリカって魅力的、絶対好きになると思っていましたが、こっちに来て3年もたち、一人暮らしを始めると日本って不便がなく素晴らしい国だなって気づき始めました。小さなことまで気を配る日本の文化はどこの国にも負けないと思います。サランラップ一つを見てもどれだけ日本のサランラップが素晴らしいかが分かります!こっちのラップは全然切れないし、すぐくしゃくしゃになってしまいます。アメリカはおおざっぱです!(悪いことではまったくありません、この理由は後で説明します)

 

僕はSUNY Oneontaに日本文化クラブを創設しました。このクラブは日本人留学生がいろいろなイベントを企画し文化の紹介をするのが主な目的です。作るまで長い時間を要しましたが無事学校から認められ正式なクラブになりました。クラブを作った理由はただ単に日本の文化を紹介したかったからではなく、より多くの日本人が活躍できる場を作ってあげたかったからです。そしてそのクラブを通してより多くの留学生がアメリカ人と交流して欲しかったからです。この小さな町Oneontaは正直なところdiversityはあまりありません。そのdiversityにぜひ貢献したく、International Students Organizationの運営係にもなり、学校の多様化に向けて様々な活動を行っています。最近は友達の韓国人が韓国文化クラブを作り始めました。留学生の数が増え始め、学校も僕が来たときと比べるとよりdiversityになってきたと思います。留学生、少数派であるということはdisadvantageになると思う人がいると思いますが、逆に考えれば、周りの人が知らないことを知っている、紹介することができるという点で良いことでもあります。僕はそういう自分が優れていること、自分が知っていることを全面に押して留学生は沢山のことに挑戦するべきだと思います。

 

先ほども言った通り、自分はこっちに来て日本のことがよりいっそう好きになりました。こっちにないことは是非ともこっちの人に紹介したいと思っています。こう言っていると自分はアメリカのことが嫌いなように聞こえてきますがそうではありません。こっちにはこっちにしかない良いことがたくさんあります。日本にしかない良いものは教え、アメリカにしかない良いものは学ぼうとしています。(これが僕の夢です、何をするにも日本の文化紹介ということに関連づけたいと思っています)実際に3年間でこっちで学んだことは沢山あります。

 

先程アメリカは大ざっぱだとnegativeな感じに紹介しましたが、それは悪いことではありません。逆に日本の小さなことにこだわることが必ずしも良いことだとは思いません。いろいろなクラブのリーダーを務め、違ったbackgroundの人たちをまとめる立場を経験して学んだことは沢山あります。自分はアメリカ人とミーティングをすることが好きです。理由は、一回のミーティングで必ず一つのことが決まるからです。次のイベントは何しようかというお題に対し、誰かがこれしようというと周りの人は賛成し、それを成功させるためにはどうしたら良いのかを真剣に考えます。とりあえずやってみてだめだったら違うこと考えようという精神がアメリカ人にはあると思います。逆に日本人だけでミーティングを開いたときに、何か決めようとなると、いつもではありませんが何も決まらないことが多々あります。誰かが意見を出してそれについて考えすぎて結局できないという結論に至るからです。それをどう成功させるかを考えるのではなく、やってもいないのにできるかどうかを考えてしまうのです。結局何か決まっていざやってみるときもアメリカ人が「よっしゃやるぞ!」と言ってやってみたイベントほど盛り上がりません。

 

考えなさすぎも良くありませんし、考え過ぎも良くありません。僕がここで言いたいことは、「とりあえずやってみよう」という精神は大切だということです。そしてうまくいかなければ反省してまたやってみれば良いのです。たくさんやれば成功する確率も高くなります。僕は自分の夢は叶うものではなく掴むものだと強く感じています。できることをたくさんやりまくっていれば必ずどれかは成功すると信じています。そしてそのたくさんのことができる最高の場がアメリカの大学だと思います。先ほども言いましたが大学では何でもできます!自分は受けた誘いには絶対NOを言いません。必ずやります。失敗したことはやはり沢山ありますがその中で数々の成功を残してきました。先学期は学校が選ぶ最も優れたリーダーとしてhonor society(優等生の会)に招待され、さらに自分のファッション学部からも学部トップの人たちが集まるhonor societyにも招待されました。そして今学期学校の中でほんの少しの人にしか与えられない、best and brightest awardにノミネートされました。

 

クラブ活動の話ばっかりで、勉強のことはあまり書いていませんが、勉強もしっかりしています。そしてかなり遊んでいます!毎週末パーティで酔いつぶれるほど飲んでいます。(良いのかわかりません、でも確実にこの飲みで週内の疲れ、ストレスを発散して次の週も頑張る元気をもらっています。)楽しむことを忘れないっていうのも大事なことですね。切り替えさえできればなんとでもなります。友達から雄大勉強していること見たことないとよく言われますが陰でしています。(勉強ばっかりしていて頭良いのは当たり前だから自分はあんまり勉強していないように見せかけて成績を取ることに憧れを感じています)ほら、Gapって魅力ですからね! SEAにいたころは結構勉強マンというイメージがあったと思いますが、こっちでは結構遊び人の印象が強いです。 一つ言えることは、SEAのつらい勉強を耐えることができればこっちでも生きていけます!

 

もうひとつ勉強と遊びの切り替えのほかに大切な切り替えがあります。それは日本語と英語の切り替えです。こっちでうまくやっている人って、自分が思うに日本人とも仲良く交流していて、アメリカ人や他の留学生とも仲良く交流している人だと思います。英語が勉強したいからといって日本人との交流を避け、アメリカ人とだけ交流しようとする人がたくさんいます。逆に日本人とばっかり交流している人もいます。自分の経験上、学校で成功した人たちはどっちともと、うまく交流した人です。日本人の友達から学べることもたくさんあります。もちろんアメリカ人からもたくさん学べます。そこのバランスをうまくやってたくさんのことが学べると素晴らしいと思います。

自分の近くの人を大切にすると良いことが必ずあると思います。先を急がず近くの人からたくさん学ぼうと思っています。そうするといつかいろんな人と出会うことができて必ず明るい未来があると思っています。

 

僕の新たな目標は、FITを卒業した後にどこか一流の大学院に通うことです。そしてファッションでなく違ったこと(ビジネス、英語等)を学びたいと思っています。元々はFIT卒業したらどっかの有名企業でインターンできれば良いなと思っていました。なぜ大学院に行きたいかと言いますと、まだ22歳、焦る必要なんてないということに気づいたからです。そしてファッションばっかり勉強してファッションおたくにはなりたくないからです。僕の憧れているデザイナーさんやアパレル業界で成功している人たちは、頭のいい人で、素晴らしい人たちです。業界で長く生きていくためにはもっといろんな人から様々なことを学び、自分磨きをする必要があると思ったからです。良い大学院に行き自分よりも頭のいい人たちから刺激を受けたいからです。働くのもストレスが溜まりますし、勉強するのも大変です。ですが自分には勉強の疲れの方がむいているし耐えられると思うんです。

 

そして僕の夢はアメリカのどこかで自分のお店を開き、日本にしかないすばらしいことをこっちに広めることです。主に洋服ですが、日本人として日本の技術や素晴らしさを世界に広めることができる人間でありたいと思っています!

「やってみよう精神」で人よりもたくさんのことに挑戦したいと思っています。それで一番成功したことを仕事にできればうれしい限りです。

これから留学目指している人たちにも是非「やってみよう精神」を持ってもらいたいと思います!!!

 

2011.11.13

堀川那奈子さん

■出身校/北海道札幌東高等学校

■進学先/ニューヨーク州立大学ブロックポート校入学

 


 

20101113_01.jpgこの秋、State University of New York College at Brockportで大学4年目の前期がスタートしました。ダンス専攻の私は、授業と課題の他に、公演等に向けてのリハーサルで、一日の大半をキャンパス で過ごしています。第一週目を終えたときには、すでに一カ月以上の月日が経ったように感じました。週末が無いに等しいほど忙しい毎日ですが、とても充実し た生活を送っています。

 

大学では、自分のやる気次第でいくらでも興味のあることに挑戦できます。学問として 確立されたダンスの授業では、踊ることだけでなく、様々な視点から研究された各種理論や歴史も学びます。さらに、振付のクラスでは作品の作り方を学ぶと同 時に、ダンスの芸術性も追求することができます。これらの授業で自分のダンスに対する考えを深めることにより、理論や知識を持ち合わせた芸術家としてのダ ンサーの質を高めることができたように思います。

 

4年目を迎え、大学外での活動の場も広まってきました。地 域のイベントにダンサーとして参加することなどに加え、ダ ンス学部で知り合った友人の紹介で、大学近郊の都市に拠点を置くダンスカンパニーにも所属することになりました。ダンスの作品を通して様々な人々と関わる 中、信頼関係を築くことが今後の可能性を広げる上でとても大切であることを学びました。大学在学中にこれほど多くの経験ができることをとても幸せに感じて います。

 

今年の夏、ピアニストの姉と共にピアノとダンスの公演を日本で開催しました。 地元の札 幌の他に、東京、横浜でも公演を行うことができ、私たちの昔からの夢だったコラボレーションパフォーマンスを現実にすることができました。また、構成、曲 決め・振付の他、ポスターデザインや、会場決め・照明についてなど、多くの人に力を借りながら一から自分たちの手で作り上げた公演は、全体を通して本当に 貴重な体験になりました。初めてのことばかりだったため、まだまだ学ぶべきことがたくさんあると実感する日々でしたが、この経験は確実に今後につながるも のとなりました。      
 

今 回の日本でのパフォーマンスのように、自ら積極的に発信していける力は留学経験を通して身につけたものだと思います。ここアメリカの大学では、授業を通し 専門分野について学ぶだけでなく、特に留学生特有の異文化交流の体験や言語の違いにより生まれる相手を思いやる心、またダンスを通して人生、生きることに ついて考える機会が多くあります。こうした異なる文化、言語、社会の中での留学経験は、自己確立を高める機会を与え、また強く柔軟な人間として成長するこ とができる可能性を持っています。私自身、大学留学4年目を迎え、この大学に来てよかったと改めて実感しています。

北村匡さん☆プロフィール
■出身校/北嶺中・高等学校
■進学先/ニューヨーク州立大学ジェネシオ校(2011年8月)
 



どうも。北村です。

僕がSEAと出会ったきっかけは小学校からの親友とその小学校で僕を担任として受け持ったある先生でした。いまでは当たり前となった中学受験をしてどうにか 志望した中学校に合格した僕は早速、英語で詰まりました。「英語なんて言葉なんだ!やれば誰だってできるようになる!」たとえあの当時こんなことを言われ ていても僕はさらに英語に対して嫌悪感を抱いていたでしょう(笑)。 

そんな僕は中学校1年生から某予備校に通って英語を勉強しました。 しかしいくらやっても全く楽しく思えませんでした。第一文型、比較級、過去分詞…… 一体何のためになるのだろうか? 英語を勉強することに嫌気がさしていました。そんな時以前SEAを紹介されたことを思い出しました。僕の親友もすでに SEAにお世話になっていたので、興味本位で行ってみることにしました。この興味本位が僕の人生の一つのターニングポイントだったのかなと今は思います。  こときの体験授業の先生はショーン先生でした。この授業をきっかけにSEAに通うこととなりました。このころはまだ英検の為や、学校での授業の理解を深 める為のサポートをしていただいていただけでした。

しかし、中学過程を終えた春休み、僕は大きな決断をしました。TOEFLクラスに参加 するという決断でした。僕の通っていた学校は国内受験をする生徒が毎年99%以上という海外留学に対してのサポートが全く得られない状況での早い決断でし た。その当時の海外留学を決意した理由はただ受験勉強をしなくていい、なんか留学って特別な感じがするな~。こんな程度だった気がします。(笑)
しかしTOEFLクラスが始まってすぐ自分の教養の無さに苦労しました。TOEFLはただ文法、単語、熟語を知っていればいいだけでなく、雲はどのように形成されるのか? 山火事はどうして消されるべき時と消されないべき時があるのかなど幅広い知識が必要です。

20110805_01.jpgそ んな知識もTOEFLの勉強をしていくうちにだんだんと身につき、ある第二の転機が訪れました。修学旅行です。この旅行ではカナダのトロント、アメリカの ニューヨークに行きました。語学学校に通ったり、ホームステイをしたりという経験が僕の留学という事に対しての考え方を大きく変えました。まず同じ人間な のに自分の意思をキチンと伝えられなかったこの悔しさったら無かったですね。僕はなんとか単語を並べて伝えようと頑張りましたが伝わらない事が多々あり、 「Sorry, nothing, never mind !」と言って諦めてしまっていました。そして同時に、英語のパワーに惹かれました。英語はいまや世界の共通語と言ってもよいほど普及しています。英語が話 せるようになるだけで僕が将来活躍できる場が、会話できる人が莫大に増えます。そんな英語のパワーに惹かれました。気がつくのが遅かったですねぇ(笑)。

20110805_02.jpg修 学旅行を終えてあっという間に高3の冬がきて 僕はなんとか第一志望の State University of New York at Geneseo に合格することができました。その時の気持ちは、合格したのか!やった! というものでした(笑) なぜこんなに軽いのか? それはやはり自分へのうしろ めたさですね。 正直 死ぬほど勉強しませんでした。高校の友達は最後まで必死に寝る間も惜しんで勉強していました。そんな友達が合格したときの喜びよう は僕にも理解できました。 だってあれだけ頑張ってたもの。 でも自分は? なんだかゆるーく 毎日英語だけ のらりくらり勉強して 勉強しながら涙する こともなく、なんとなく宿題をやって、なんとなくTOEFLをうけて、なんとなく出願して、なんか大学に受かった、そんな自分がうしろめたく感じました。 これは アメリカの大学入試に対しての甘えでした。しかし、そんな僕には、きっとアメリカの大学生活で経験するはずだったことも含めて多くの試練が待って いるでしょう。僕は向こうで どんなに辛くても、どんなに泣いても、決してあきらめずに最後まで戦い続けることを誓って これを抱負とさせていただきま す。

最後に、5年間お世話になったSEAのスタッフの皆様、SEAのお水(笑)、先輩、学友、彼女(笑)、そして何より 僕を毎日すべての面において支えてくれた家族に感謝します。 ありがとうございました!  アメリカで頑張ってきます! 行ってきます!
 



☆編集後記☆
北 村匡くんは、中高一貫教育制度を用いている北嶺高等学校(男子校)出身の利発な生徒さんです。北嶺中学の受験に合格したこと+中学生の時からSEAに通っ てきてくれていたことを考えると本当はもっと上を行くことが出来る生徒さんだったとスタッフ一同考えております。しかし、高校3年時よりSEA内で恋人が でき、恋にハマってしまいましたね!匡くん、これから期待していますよ~!!

2011.07.11

渡辺友馬さん
■出身校/札幌稲雲高等学校
■進学先/Savannah College of Art and Design
■就職先/株式会社レアジョブ

 



始めに:
この体験談を執筆するにあたって、僕に留学のチャンスを与えてくれた両親、
日 本で、アメリカで僕を支えてくれた友人、そして現在に至るまでの道へ進む後押しをしてくれたSEAへ、感謝の気持ちを捧げたく存じます。「僕の周りの誰一 人が欠けても、現在の自分はありえない。だからこそ、みんな、ここに居てくれてありがとう。」その気持ちは5年前の夏のSEA送別会で、言ったときと変わ らないままです。もちろん、留学経験から就職活動を通して、変わった物もあります。

今回の体験談では、変わったもの、変わらないものを意識しながら、
-大学卒業から現在
-現在の職場について
-これから留学を志す皆さんへ
の3点についお話させていただきます。

大学卒業から現在:怒涛の3ヶ月

20110711_01.jpg大 学は3月中旬に、ESLを含めた4年半の全過程を完了しました。同 期のSEAアルムナイを追う形での卒業となってしまいましたが、無事に学生生活に終止符を打つことができました。就職先は2010年末には決まっていま したので、3月末にはアメリカで出会った親しい友人達と「6月の卒業式で、また会おう」約束を交わし、帰国しました。その後は札幌の実家で一週間ほどのイ ンターバルを入れて、4月1日には東京で新生活を始める準備を始めました。実質1週間以内に部屋を探さないといけない状況でしたので、少々駆け足気味に部屋探しと引越しを済ませ、4月11日に晴れて就職。今思えば、東京にボストンバッグ1つだけで上京し、知らない事ばかりの中でもスムーズに引越しまでを終えることが出来たのは、アメリカで揉まれた経験があったからなのかな、と思います。実感はしていませんでしたが、アメリカでの生活は確実に僕を成長させていたのです。

それからのいわゆる「新卒」としての生活はめまぐるしくも楽しいものでした。

そ れについて詳しくは次の「現在の職場について」で書きますが、6月の卒業式の為に再びジョージア州サヴァンナに戻った時には、「あぁ、もう学生として居ら れないんだな」と改めて実感したのを覚えています。卒業式を終える頃には、これからは「学生」と言う名の保護はなく、文字通り独り立ちして行くんだ、と言 う気持ちを抱いていました。

 

少し寂しい気持ちはありましたが、友人達と「また会おう!」と約束して日本への帰路に着きました。彼らとは今でも良好 な関係を築いていますし、FaceBookやSkypeを利用して連絡を取り合っています。物理的な別れは、決して精神的な別れとイコールではないので す。彼らが日本に来た際には、彼らがアメリカで僕を支え、楽しませてくれたのと同じ事を日本で僕が彼らにする番です。

現在の職場について:株式会社レアジョブ http://www.rarejob.com/


20110711_02.jpg現在、僕がお世話になっている株式会社レアジョブは、Skypeを利用したマンツーマン英会話を安価で提供する業務を行っているベンチャー企業で、その中で僕は社内で唯一のデザイナーとして勤務しています。

 

レアジョブのサービスであるSkype英会話は、インターネット電話Skypeを介しているとは言え、優秀な講師とのマンツーマン英会話は、スピーキングの練習に最適です。

 

通 常、マンツーマン英会話と言えば、時間もお金も多大なコストが掛かるものですが、レアジョブのサービスは「毎日25分間話せるプランが月5000円、50 分でも8000円」と安価です。またSkypeを利用するサービスなので、パソコンやスマートフォン、iPhoneなどのSkypeを使用できる環境さえ あればどこでも気軽に受講できる所が最大の特徴です。留学を控えた皆さん、またこれから留学を目指している皆さんは、現在のコミュニケーション力で無事に 大学生活を始められるか不安な事かと思います。その気持ちは良く分かります。僕や、僕と同期のSEA卒業生達も、皆さんと同じ状況にいましたので。だから こそ、今、日本に居るうちに出来るだけ、本当の人間を相手に英語で会話することになれて欲しい。そして、留学先での生活になるべく早く慣れて欲しいです。 実践前の予行練習、と言うことでレアジョブのサービスをご一考頂けたら幸いです。まずは無料体験として2回、レッスンをお試しください。社員紹介割引もあ りますので、もしレアジョブのSkype英会話を気に入っていただけましたら、ご一報ください。

大学を卒業して尚、勉強の日々:ビジネスの最前線でデザインが出来る環境

 

ウェブ広告やauのスマホ端末向けにアンドロイド・アプリのパーツや起動画面、プリント媒体向けの画像等、社内でデザインが必要な仕事は全て自分にまわって来ます。

 

通 常の会社では決して味わえなかったであろう、ベンチャー企業ならではのスピード感で仕事が出来るのは、デザイナーとして本当に幸せな環境だと思います。エ リートコースにいた方々や、皆さんと同じくらいの年齢の方が休学して、毎日のようにベンチャー企業で切磋琢磨して働いている姿を見るだけでも、勉強になる 事がたくさんありますし、マーケティングやマネージメント等の大学生活では全く興味が無かった分野も、独学で少しずつ学び始めました。

 

大学で与えられた課題をこなす受動的な勉強から、今度は自分の意思で、能動的に勉強をする。勉強がこんなに楽しいと思ったのは、生まれて初めてかもしれません。笑

 

それと同時に、本業のサイドではフリーランスのプロジェクトも進行していて、生活は楽ではないですが、僕なりに充実した毎日を送っています。

現在のビジョン:アートディレクター(クリエイティブ・ディレクター)になる為に

レアジョブで働き始める前は、デザイナーではなく、アートディレクターになりたいと思っていました。アートディレクターと言うのは、簡単に言うとデザイン 部署の責任者のようなもので、企業のデザインチームを動かす人の事です。しかし、レアジョブに入社してから、僕にはまだまだ足りない物が多いと気付きまし た。プレゼンスキル、コミュニケーション能力、クリエイターとしてのセンス、企業理解、等々学ぶべき事はまだまだあります。それらを学び、経験を積んで晴 れてディレクター職を頂いたあかつきには、レアジョブのロゴを初めとした企業のブランドデザインを手掛け、今以上にレアジョブを魅力的な企業して行きたい 所存です。

その後の人生は:まずは日本へ貢献、そして世界へ
現在の職場に就職した理由の1つとして、「日本へ貢献したい」と言う ものがありました。これはレアジョブの業務、Skype英会話を言い換えると、国際社会で戦える日本人を増やす事である。と言う観点から考えると僕は間接 的に日本に貢献している事になります。そして、その後についてですが、はっきりとしたビジョンはまだ見えて居ませんが、
日本で学んだことを、そしてアメリカで学んだことを胸に、再び世界へ飛び出したいと考えています。

これから留学を志す皆さんへ:
始めに皆さんに言いたいのは、「留学はだれにでも出来ることじゃない」と言うこと。
特 に高校・大学留学を目指している皆さんはこれからの青春のほとんどの時間を海外にあてる事になります。それはとても勇気の要ることです。その選択をした自 分を誇りに思ってください。そして、その勇気を受け止め、新しい世界へ始めの一歩を踏み出す背中を押してくださった、ご両親を大切にしてください。そし て、今あなたの周りにいる友達をこれからあなたの周りに現れる友達を大切にしてください。
そして何よりも、言葉、文化、様々な違いを楽しんでくだ さい。留学中は苦しいこともありますし、日本では考えられないような事が、日常茶飯事で起こります。だけど、その時に事情や現実を頭から否定するのではな く、一度それ受け止め、それから改めて感じてください。どう反応するかは皆さんの自由ですが、トラブルは常に皆さんの視野を広げるチャンスなのです。それ なら楽しんだ方が得だし、充実した毎日を送ることができるかと思います。
 



SEAスタッフの編集後記
友馬さんは、Savannah College of Art and Designから学費全額免除($22,000)の奨学金を獲得して大学に入学しました。卒業後も目標に向かって頑張っておられる様子で、これからもとても楽しみです。

2011.06.14

五十嵐剛斗さん
■出身校/札幌東高等学校
■進学先/SUNY Geneseo(ニューヨーク州立大学ジェネシオ校)

 

大学2年目を終えた五十嵐さんが、SEAに遊びに来てくれました。その際にアカデミックスキル対策講座(Academic Skills)を参観しての感想を書いてくださいました。
 



20110614_01.jpg私がNY州立大学Geneseo校へ来て早2年が経ちました。大学生活も半分が過ぎ、

残る半分は授業はもちろんのこと、進路選択などこれまでよりも濃く充実した生活になるだろうと楽しみです。


 

大 学生として最初の1年 間は英語に苦しみました。アメリカに着いてすぐの頃は現地で使われる英語の速さに戸惑い、まともなコミュニケーションもままならないという状況が続きまし た。出発前にはどうにかなるだろうとどこか楽天的な考えでいましたが、いざ現地での生活が始まれば、聞けない→答えられない→会話にならない→次回から間 違いが怖くて話さない、という負の連鎖から抜けられなくなりました。SEAで培った自信も粉々に打ち砕かれ、留学しなければ良かった、と後悔することも 度々ありました。


 

しかし、コミュニケーションに関する部分でのつまづきとは裏腹に、学業面は思いのほか順調でした。リスニング・スピーキングで苦しんでも、授業では教科書を自分のペースでじっくりと読むことで理解力を高めることができました。


 

2 年 目に入ると自分の英語力にも自信が付き、生活の中で英語で困ることもほぼなくなりました。それと同時に授業のレベルも上がり、より一層多様な考え方が要求 されました。一つの考え方に偏ることなく、異なる人種、国、生活水準、文化から生まれる各人の考えを尊重するスタイルが常日頃の生活の中に組み込まれてい るというのは、日本ではなかなか経験できないように思います。授業だけに限らず、私生活の中でもそれはよく見られます。印象的に残っているのは、先日3月 11日 に起こった東日本大震災でした。友人と震災について話していると、メディアで報道されているのとは違う視点での意見が飛び出し、議論がヒートアップするこ ともありました。必ずしも万人受けする意見ではなくとも、それを自分の考えとして自信を持って話す友人には感心しました。


 

授 業内外を問わず、Critical thinkingと いうのは留学生活の中で重要な鍵であると感じます。自分の考えに対して正直なレスポンスが返ってくる。時にはグサッとくることもありますが、そこからまた 新たな考え方、疑問、答えが生まれ、一段また一段とレベルの高い議論を交わすようになる度に自分の成長を実感します。相手を傷つけることを気にしての馴れ 合いの討論とは違い、ストレートに自分の意見を飛ばす中で、Critical thinkingは絶対的に必要です。


 

しかし、自分一人でその力を付けるのはなかなか難しいものです。自分の意見に対しての周りの反応、周りの意見に対しての自分の応答があってこそ、Critical thinkingの力というのは養われていきます。


 

私 がSEAでAcademic skillsを受けていた頃は、教材も当時の自分にはやり応えのあるもので、クラスメートと一緒にReading 教材を理解するところから、基礎知識の違いなどで生まれる異なる意見、更にそこから勃発する白熱した議論、それに対するWriting assignment(ライティングの宿題)での意見交換など、自分では見えなかったポイントが見えるようになるのがとても面白いと感じながら毎日取り組 んでいました。

TOEFLクラスでは英語力の向上、またそれに伴う文化的な基礎知識の発展が中心でしたが、自分の意見を発信するまでには至 りません。Academic skillsでは、高いレベルで自己の考えを英語を道具として相手に伝える練習ができるので、大学生活により近い状況で学習ができました。少人数のため、 意見交換や議論をするためにもそれぞれが毎回しっかりと課題をやってこなければならず、プレッシャーもTOEFLクラスとは違います。課題をやりきるので 精一杯で、質の良い課題提出ができないことも時折ありましたが、英語に不自由を感じる中で送る大学生活では、現地の生徒が1時間で終わらせる課題に3、4 時間を費やすのが必然となります。


 

実際にアメリカで大学生活を送り始めてから、Academic skillsの肉体的、精神的負担が留学準備のために良い刺激となったと実感しました。留学直前の3ヶ月であのクラスを取っていなければ、もっと大変な苦 労をしただろうと思います。Academic Skillsで得た“意地でもやり遂げる”という根性には大学でも助けられています。

2011.02.11

市原暁さん
■出身校/東海大付属第四高等学校
■進学先/University of Central Arkansas
■就職先/豊田通商(シンガポール)
 



20110211_01.jpgArkansas.アーカンサス?アーカンソー。

高校時代デンマークにいて、少しばかり英語には自信があったのに、乗り継いだ飛行機の中で話しかけた老人には通じなかった。

2005年8月、灼熱のリトルロックに着いた。それはそれは何もない所。

もう6年近く前の事になるのに、今でも鮮明に覚えている。


”あっちぃー”、”ここ人いるんかな”こんなんが正直な第一印象でした。

高校時代訪れた地ロンドンで見た日本人サラリーマン。沢山の白人を引き連れ、オフィス街に消えてった。いつか自分もかっこいいリーマンになりたいと思い、アメリカ留学を決意した。とても単純でぼんやりとした目標だったけど、そこを目指そうと思った。

 

私自身通ってたUniversity of Central ArkansasはArkansasと 言う何ともマイナーな州にある州立大学。大学のある街はとても小さい街だったが、生活には困らず、コンパクトに全てが揃ってた感じだった。住めば都なんて よく言うが、まさしくその感じだった。金曜にもなればどこそこでパーティーが開かれ、日曜には勉強の遅れを図書館で過ごす。街は小さく、都会のような高層 ビルや、朝まで開いてる洒落たBarなんてなかったが、生活自体はものすごく充実してた。


暑い夏が過ぎ、短い秋、冷たい風をひしひしと感じる冬が終わり、また短い春が来る。
そんな四季を感じると共に、あっという間に大学生活が終わりました。
経済のテスト前に図書館で勉強する事も、カフェのご飯を食べる事も、Redbullに溺れかけたテスト期間も無くなるのかと思うと寂しい感じもしたが、2009年無事卒業しした。
 


 20110211_02.jpg2010年アメリカを離れ、シンガポールで商社マンとして新たな一歩をスタートさせました。世界中で不景気の波が押し寄せて、各方面で影響が出てる中、今後経済が どうなるのか…?現代を生きる者として、しっかりと時代を感じ取り、商人になりたいと思ってます。またredbull漬けの毎日になるのは時間の問題だと思いますが、16歳の頃見たロンドンのリーマンに早く近づけるように今は前進あるのみ。

 

夢は必ず叶う!なんて高校時代よく聞いて、一番信じてなかった自分だけど、今では少しその言葉が信じれると思います。海外留学を通じ夢を見つける事が出来て、そしてその夢に向かって前に進める事ができて本当によかったと思っています。これから留学を目指す皆さんも色々な葛藤があると思いますが、自分を信じ 頑張ってください。

2011.01.07

寺地美穂さん
■出身校/札幌国際情報高等学校
■進学先/ニューヨーク州立大学ニューパルツ校
■就職先/プロのサックスプレーヤー
寺地美穂さん公式ホームページ→http://www.miho-t.com/
 



20110107_01.jpgこの文章を読んでいる方々は、きっと海外留学を目指して勉強している方や、留学への興味と共に、将来の夢や不安をたくさん抱えた方なのでしょう。ジャズサックスの巨匠、ジョン・コルトレーンの言葉に「真実を演奏するためには、真実を生きなければならない」というものがあります。自分に嘘をついて生きてはいないですか?そんな風に私には問いかけてくる言葉です。

 

留学中に大切な父親を亡くしたこともあり、限られた人生という時間の中で自分が何をするべきか、深く考えさせられる時期がありました。私の場合は、留学後に自分がどんな方向に向かっていくか、具体的にはどんな職業に就くか、想像していたものとは違う道を選びました。今している仕事は、もしかしたら心のどこかでそれを望んでいたかもしれないけれど、当時は自分にできるとは夢にも思っていなかった、、、そんな仕事とも言えるかもしれません。

憧れのマンハッタンからそれほど遠くない州立大学のある町は、音楽に溢れたとても温かい町でした。1日4ドルあれば毎日違うジャンルのバンドの演奏が聴ける、そんなお店がいくつもありました。日中は難しい顔をして教鞭をふるっていたジャズ科の教授達が、夜はライブバーで楽しそうに演奏していました。間近で 見る演奏は本当にかっこよくて度肝を抜かれ、今思えばどんな授業よりも一番興味深くて楽しい授業でした。私は本当に音楽の何も知らないまま音楽療法士を目指していたのか・・・と愕然としたこともありました。それ以外にもたくさんの刺激や新たな発見があり、音楽療法士への道からサックス奏者になる道を選びましたが、留学前も今も、音楽を通して誰かに幸せになってもらいたい、その気持ちは変わりません。

 

日本人として何ができるのか、考え悩み抜いて帰国を決意してからたくさんの方々の協力があり、繋がりが生まれました。当初は札幌で、結婚式やホテルのラウンジでの演奏などから始まり、ライブバーでの定期的な演奏活動を経て、自身のオリジナル楽曲の作成を始めました。当時は札幌ファクトリーツリーの点灯中の音 楽なども演奏(収録)しました。音楽雑誌の取材の仕事や、ライブハウスのスタッフのバイトなども経験しました。

今はライブやレコーディン グ、シンガーのバックなど、サポートワークの他、東京大久保にある石森管楽器という世界中のサックス奏者が来日の際に立ち寄る老舗の管楽器専門店でサック ス講師も務めています。また、2年連続で札幌シティジャズというイベントのコンテストに北海道出身の20代で結成したバンド「Cross Groove Premium」で出場し、ファイナリストとして大通り2丁目に設置された巨大なホワイトロックテントのステージに2度立つことができました。


20110107_02.jpg優勝は逃して悔しい思いもしましたが、このバンドを通して、2009年には津軽三味線奏者の白田路明やその師匠の吉田兄弟の吉田健一さんとまで共演を果たし、ワンマンライブで北海道のインストゥルメンタル(ボーカルの居ない)バンドでは異例の300人越えの集客を達成し、2010年12月にはバンド結成3 年というスピードでZepp Sapporoの大舞台へ立たせて頂くことができました。また、以前は取材する側だった音楽雑誌に2010年を賑わせたアルトサックス奏者の「注目株」と して紹介していただいたのも最近の出来事です。記事を見たときはまるでドッキリでしたが、感謝の気持ちでいっぱいになりました。

 

音楽は心や体を揺さぶる何か魔法のような力を持っていると信じているのは、音楽療法士を目指していた留学前も今も変わりません。聴く側から、創り生み出す側へ、変わっただけなのだと思います。でも高校卒業後に留学していなければ、あんな風に音楽を身近に感じることも、演奏することの楽しさをここまで知ること もなく、別の人生を歩んでいたのかもしれません。

2010年は演奏活動の他に、カリフォルニア在住の世界的に活躍しているサックス奏者、ボブ ・ミンツァーさんのサックスクリニックの通訳などもさせて頂きました。もちろん私はプロの通訳ではないですが、音楽やサックスの専門知識がないと務まらな いとのことで、不安がありつつも、留学体験が少しでもためになればと思い引き受けました。大勢の前での通訳は、手に汗握るほど緊張してしまいましたが、世 界的に活躍しているプレイヤーの生の音を直に聞くことができ、お話しさせて頂くこともできたのは刺激的で、本当に勉強になりました。こんなに素敵な機会を 与えてくださった方々に感謝しています。

 

まだまだこれからやってみたいことや挑戦してみたいことはたくさんあります。いずれは日本を代表するサックス奏者へ、そしていずれは世界へ、そういった大き な夢はもちろんありますが、まずは目の前にいるひとりひとりの人にしっかりと届けられるような説得力のある演奏ができるようになりたいと、日々精進中で す。

 

私 はどちらかというと、直感や感じたままに動いてしまう方で、それで失敗したことも多々あります。でも気になることをトコトン追求してみて、自分の足で実際 に出向いて見ることは、決して無駄なことだとは思いません。好きなことや興味のあることは、これからもトコトン追求して、そしてそれがいつか誰かの為にな れば・・・こんなに幸せなことはないと思います。
 

これから留学を目指す皆さんも、まだ迷っている皆さんも、まだ見たことのない世界に飛び込む勇気を持って、いつも支えてくれている人や両親への感謝の気持ちは忘れずに頑張ってくださいね。          

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