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卒業生の声

■卒業生の声

SEAの教育プログラムを修了し、大学・大学院等に入学していった方々の声です。
先輩たちの現地での学生生活、学習環境、海外生活の様子が伺えます。

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■就職者の声

SEAから大学・大学院等での学習生活を経て就職した方々の声です。
海外進学者たちの就職選択の多様さ、その後のグローバルな活躍の様子がわかります。

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2011.11.01

細谷玲子さん
■出身大学/ラマポーカレッジ・オブ・ニュージャージー(米国)
■就職先/四季株式会社 北海道公演本部
 



20111101_01.jpg12歳の冬、初めて出会った劇団四季のミュージカル『キャッツ』。

この作品との出会いをきっかけに、私の人生は大きく変わりました。
あの感動と興奮を味わいたくて、高校卒業までの約6年間、全国各地の劇場に何度も何度も足を運びました。当時、私のわがままに文句ひとつ言わないで、気が済むまで劇場に通わせてくれた両親に今では心から感謝しています。

劇場に通う日々の中、「もっと多くの人にミュージカルを観てほしい!作品を知ってほしい!そしていつか・・・劇団四季で働きたい。」という想いが私の将来の夢に変わりました。しかし、友人にも心配されるほど引っ込み思案だった私は、将来の夢など決して口には出せませんでした。

高校3年生の夏。自分の夢を叶えるために演劇を学びたい気持ちはあったものの、進路に悩みもがき苦しむ毎日。そんなある日、「留学してみたら?」という母の言葉に心が動き、知人の紹介を受けすぐにSEAの扉を叩きました。
SEAを初めて訪れた日の事を、今でも鮮明に覚えています。

先生と母と私の三者面談中、大粒の涙とともに、初めて「舞台の勉強がしたい」と口に出すのが精一杯でした。一度発してしまうと、不思議と気持ちが楽になり、 それからはもう舞台一筋の目標に突き進めました。とにかく、ミュージカルの本場ブロードウェイの作品に触れられて、英語も学べるなんて一石二鳥!“アメリ カ留学”は当時の私にとってベストな選択でした。

留学中はもちろん、大好きなTheaterを専攻し、大学の劇場と寮との往復の日々。ア ルバイトは劇場案内係やチケットボックスの販売員、コスチュームデザインの教授のアシスタントなど。週末はブロードウェイに出向きミュージカルやお芝居を 観劇。何よりも、劇場にいる時間が自分の一番好きな時間でした。英語の習得、文化の違いに苦悩した時期もありましたが、周囲の人たちの支えもあって、4年 間の大学生活も無事終了。留学中に出会った多くの人たちや体験は今でも宝物です。

帰国後も、「舞台の感動を届ける」仕事がしたいという夢は変わりませんでした。
帰国してから2年後、ちょっと遠回りはしましたが、念願だった劇団四季に営業として入社することができました。今年で入社6年目。すぐそばで生の舞台を感 じ、劇場ではお客様の拍手・笑顔に元気をもらえる環境は本当に幸せです。3月からは故郷北海道での公演を担当するために札幌に配属になりました。劇場で、 皆さんにお会いできる日を楽しみにしています!!

最後に、家族、友人、そして親身にサポートしていただいたSEAの皆さんに心から感謝いたします。

劇団四季 北海道公演本部 細谷玲子

劇団四季 オフィシャルウェブサイト 全国の公演情報はこちらから♪ http://www.shiki.gr.jp/

 

2014.03.07

小野寺勇貴さん
■出身校/札幌南高校卒 2009年
■進学先/イースタンメノナイト大学(2009~2010)、グレンデール短大(2010~2012)、カリフォルニア州立大学ロサンゼルス校(2012~2014)
■インターン/ゴールドマンサックス シンガポール支社、GLナビゲーション 東京
■就職先/ソニー
 


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<留学の動機>
 

高校生の頃の私は、現在盛んに言われている「グローバル人材」とは完全に異なる「ドメスティック人間」でした。どうして日本人なのに英語なんて勉強しなければならないのか、英語なんてクソくらえなど、本当にそんな風に考えていました。恥ずかしくも(その頃は全く恥ずかしなく・・・)英語のテストの点数は4点でした。もちろん100点満点です。英語の授業は睡眠学習の時間であり、アメリカへの関心は完全にゼロ。受験も当初は国内私立大に進学するつもりでいました。留学のことなんて頭に片隅もない、そんなところからのスタートでした。

そんな私が突如、高校3年生の9月にアメリカへの留学を決意しました。そんな状況だった私を留学へ導いた理由は1つ、野球です。私は9歳の頃からプロ野球選手を目指し、野球へ人生の大半の時間を捧げていました。高校でももちろんプロを目指し、野球部に所属し、投手としてプレイしていました。

高校野球引退後、受験勉強をしていた頃、ご縁があって現在私が最も尊敬する方々のうちの1人から、アメリカの方がプロになれる可能性が多くある、日本よりも厳しい環境で挑戦することで人として成長出来る、と聞き、その言葉を信じて、自分の目標である「プロ野球選手になって活躍する」ことを達成するべく渡米を決意し、SEAと出会うこととなりました。



留学体験記

事細かに記述してしまうと、本を1冊書けてしまいそうな程の経験が出来たと思っています。アメリカ生活は挫折と挑戦の連続でした。ここでは根幹になることだけに絞って記述します。

 


「野球での挑戦」

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これが私の人生の1番の軸であり、私を奮い立たせ、成長させてくれたものでした。合計14年間、プロを目指して挑戦してきましたが、やはりアメリカでの4年間は特別なものでした。

プロを目指してはいたものの、私の実力はそれに近いものだったのか、と問われるとその答えはNoでした。高校でもエースではなく、周りからすれば、私がプロなんてムリ、アメリカに行っても通用しない、という見方だったと思います。

私はそう思う人たちを見返したいという思いと、こんな私が本気で挑戦して成長することでプロになったら、様々な人たちの励みになる事が出来るという思いを持っていました。その思いが根底にずっとあったので、今まで自分の可能性を信じて挑戦し続けてきました。

ただ、私は目標には期限があるべきだと思っています。その期限内に達成するべく、今ある時間を大切に、全力を尽くすべきだと。なので、大学野球引退時までにプロになることが出来なければ、野球の挑戦は諦めると決めていました。

それまでに出来ることは全て実行しました。短期と長期目標を設定し、日々の練習はもちろん、自主トレーニング、コーチに相談、日米のプロ野球選手と練習させてもらいアドバイスを求めるなど、他にも多々、考え得ることは全て徹底的にやり切ったと思っています。そして、言語、文化、プレイスタイル、理論、練習環境など、日本とは全く異なる困難な環境での挑戦は、相当厳しいものでしたが、本当に私を成長させてくれたと思っています。

結果に辿り着くまでには様々なエピソードがありますが、最終的に、チームはカリフォルニア州D2リーグでチャンピオンになり、2人もプロへ指名されるという快挙を成し遂げました。そんな強いチームでプレイを出来た事は誇りに思いますが、私の目標は叶いませんでした。メジャーリーグの球団に評価され見てもらった事もありましたが、投手として球速が足りないという決定的な要因がありました。目標を達成出来なかったことに、様々な思いが自分の中に巡りました。ですが、自分で決めた事を守り、次のステップへと進む事を決意しました。その時の野球への思いはここでは語り尽くせないので、もしよろしければ、その時に野球への思いを綴ったブログがありますので、そちらへお願いします。↓

http://ameblo.jp/coron1212/entry-11536344875.html

 

「文武両道を目指して」

高校では全くしなかった勉強。大学へ入学してからは文武両道を貫くことを決めていました。アメリカのアカデミックシステムはシビアです。例え野球部のエースで4番だったとしても、通常の学生と同じ単位数と成績の基準を満たせなければ強制退部となります。

私の大体のアメリカでの毎日のスケジュールは、朝9時頃〜午後1時半まで授業、午後2時〜6時まで野球の練習、午後6時〜9時頃まで授業、その後にカフェで自習、帰宅後に野球の自主練習というものでした。

アメリカでの文武両道は予想以上に厳しく、勉強ではやはり英語が大変でした。英語が特に苦手だった私はもうひたすら修行だと思って励んでいました。最初は相手が言う事が全く理解出来ない、私が何か話せば必ず What? と返される、その繰り返し。それでも意識的に自ら積極的にコミュニケーションを心がけ、解け込めるように努力していましたが、中には厳しい野球部員もいました。Yukiは英語が出来ないからと言い、まるで相手にされない、明らかに見下されることも日常でした。でも、そんな部員がいたからこそ、毎日、闘争心を燃やして、いつか見返してやろうと頑張って来られたんだと思います。4年目の時でさえ、言われ続けました。ネイティブにすれば自分の英語力は本当にまだまだだと言う事です。これからも永遠の課題です。

 

留学で得た財産

留学を経て本当にたくさんの経験を詰み、財産を得られました。その中でも、私のこれからの人生に置いて、必ず役立つ2つの財産を簡単に記述したいと思います。

1つ目は、留学で培った私の最大の強みである「挑戦力」です。目標に向かってどんなに困難な中でも努力し続ける力と定義しています。プロになるという目標に向かって、アメリカで様々な壁にぶち当たり挫折しかけながらも努力しきった、という経験はこれからの私の人生にとって、一番の糧となり役に立つものだと思っています。今後も、私の人生目標を達成すべく、どんどん挑戦していきたいと思っています。

2つ目は「人」。アメリカやその他異国の地でご縁が出来た日本人の方々や現地の方々。海外で出会うということは、同じ日本で出会うことよりも、かなり特別なものにしてくれます。日本では決して会えないような方々ともたくさんお会い出来て、学ばせてもらってきました。そして、その方々に助けてもらったり、チャンスを広げてもらったりしてきました。また、同じ志を持つ仲間とも出会い、刺激し合って来られたことも本当に幸せなことだと思っています。今後とも、お世話になる事が多々あると思います。そんな素晴らしい方々とご縁が出来たのも、アメリカに渡って目標を切実に追って来たからです。

 

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伝えたい事

これから留学される方々もこの記事を読んで下さっているのではと思います。その方々に、私の経験から1つアドバイス出来るとすれば、それは自分の軸を1つ、もしくは2つしっかり持っておくことだと思います。希望に満ち溢れた留学も実際に渡米すると、予想通りの楽しい事がある反面、厳しく辛い事が多々あります。それにめげずに物事をやり切るには相応の覚悟と行動が必要となります。軸を持っているかどうかで、成長度合いは俄然違ってくると確実に言える、と思っています。留学をどういったものにするかは本当に自分次第です。自分次第でどうにでも出来る環境があると思います。全ては自分次第。自分のしたいことやなりたい自分像があるか、それをどれほど意識し、成し遂げたいと思っているか。たとえそれらが描けていなかったとしても、常に頭に入れて意識しているべきだと思います。日々なんとなく受け身で過ごしているだけでは物事は進まないし、生産性はありません。せっかく留学しているのならば、その経験を最大限に活かすべきだと思っています。これから留学される方々に私が1番強く言いたいのは、軸を持つ事、です。

 

これから

私の人生目標は「ロールモデルになること」です。私自身が挑戦し続けて、成長し、結果を出す事で、周りの人々に自分もやれば出来るんだと希望を持ってもらえる人間になりたいと思っています。これは私が野球をしていた頃から変わりません。自分がプロになることで多くの野球人たちに自分も頑張ればなれる、と思ってもらえる選手になりたいと思っていました。それを達成することは出来なかったので、次はビジネスで成し遂げようと思っています。一度大きな挫折を経験しても、挑戦し続ければここまでやれるんだぞ、と言える人になります。

上記の通り、今年の4月からソニーに入社する予定です。そこではマーケティング業務を担当することになっています。数年後には海外駐在をして、世界を相手に勝負したいと思っています。また、その後はMBAに進学したい、経営に携わりたい、とも思っています。まだまだ先は未知だし、可能性は広がっています。「ドメスティック人間」から「グローバルリーダー」への可能性も存分にあると思っています。これからも挑戦し続けて、必ず目標を達成してみせます。全ては自分次第です。

2011.07.20

山本龍一さん
■出身校/県立岐阜高校
■進学先/ユタ州立大学
■卒業/同大学・大学院2011年12月卒業予定
■内定先/独立行政法人 宇宙航空研究開発機構(JAXA)

 



高 校生時代の自分は、お世辞にも誇れるものではありませんでした。宇宙開発に憧れながらも部活にかまけて学生の本文である勉強を怠る日々。ふと自分の立場に 気付いた時は、既に三年生の夏。「このまま挑んでも間違いなく落ちて、浪人生になるだろう。そうなったときに勉強に対して真剣になれるのか。」自分の今ま での生活を顧みて、間違いなくさらに堕落してしまうと感じた自分は、荒療治に乗り出しました。身一つで学ぶ、留学という選択です。これは当時、高校留学を 経験していた同級生の影響もありました。

岐阜に住んでいた自分がSEAを知るようになったのは、留学について詳しく調べるため名古屋のアルクを訪れた際に、吉田さんと偶然出会うことができたからでした。今思えば、この偶然がすべての始まりだったのかもしれません。
吉 田さんに紹介され、当時新しくできたばかりのUPS講座(*)を利用しTOEFLについての対策を体系的に学び、留学に必要最低限の実力を短期間で身に着 けることができました。そして最終的に紹介された大学の中から決めたのがユタ州立大学です。ここを選んだのは、航空工学系のプログラムが優れていることは もちろん、日本人留学生が少なく自分を孤立させ成長させることができると感じたからです。

大学に入学してからは、思っていた以上にハード な日々が待ち受けていました。特に入学一年目はホワイトボードに書かれることを理解することすら難しく、授業内容こそいま振り返ってみればそれほど難解な 物でもなかったのですが、それが英語で表現されるだけで途端に解けなくなり、自分の実力のなさに悔し涙を流したこともありました。ただ、ここで折れれば何 も残らないという危機感と、大学に通うため仕送りをしてくれる親に報いるためにも、最後まで諦めずにやり抜こうと決め、ひたむきに学生生活を送ることで2 年目、3年目には学科で最優秀成績者として表彰されました。退路を断ち半ば無理やりに情熱のベクトルを勉強に向けさせましたが、結果的にはそれが自分に とってベストだったのだと思います。

20110720_01.jpg前 までは漠然と「宇宙開発をしたいなぁ」と半ば妄想のようだった自分の夢がだんだん手の届くかもしれないものとして輪郭を帯びてくると、辛くとも不思議とや る気が湧いてきました。勉強だけでなく留学生生徒会やロケットクラブ、アルバイトなど、自分の興味のあること、好きなことにもどんどんチャレンジしまし た。

卒業研究では、NASAの主催する大会に向けロケットをチームメイトと協力して設計、製作をしました。自分は航空機や人工衛星の誘 導、制御システムに興味を持って勉強しており、その力を発揮しつつ、新たに学ぶためにチーム内ではロケットに組み込む軌道制御プログラムの担当をしまし た。途中大きなミスもありましたが、教授に怒られながら、チームメイトに支えられながらなんとか形にすることができたと思います。大会では参加した29大 学中、総合1位の成績を収めることができ、仲間と喜びあったのを今でも鮮明に覚えています。

20110720_02.jpgそ ういったバックグラウンドを通して、今年の4月に日本に帰国し本格的な就職活動に臨みました。面接のため東京などに出向くだけでなく、学期中のため大学の 授業もオンラインで受けなければならず、この時期も忙しかったです。特に、面接の練習やエントリーシートの書き方、OB訪問、説明会など日本の大学生と比 べわからないことや実行できないことが多くありました…が、不安はなぜかそれほどありませんでした。それまでに培ってきた高校生までの自分とは全く違う四 年の日々が、そのまま自信という対価になって返ってきたからだと思います。面接にも適度な緊張感で臨め、雰囲気にのまれずありのままの自分を表現できたと 思います。

留学に求めるものは人それぞれ違いますが、それに対してどれだけ真剣になれるかが自身を大きく成長させる鍵だと思います(留学 に限らず、国内の大学でも全く同じことが言えますが、留学する人の方が明確な意思を持っていそうだという意味で)。とはいえ、国こそ違えど周りは同じ大学 生。一緒になって遊び、勉強していく仲間が周りにいるので気負い過ぎる必要は全くないと思います。苦しい時はSEAの方と話して息抜きしてみるのもいいと 思います。自分も一度考えていたトランスファーについてや就職先について相談させていただきました。留学に対して過度の緊張はせず、期待と余裕を持って、 夢に向かって思い切り走り抜けてください。
 



(*)UPS講座とは、SEA国際教育研究所で行っている通信プログラムのことで、インターネットによる映像と音声を活用したコミュニケーションを駆使しながら進めていきます。ご自宅に居ながら留学準備が可能になります。

☆☆☆編集後記☆☆☆
山 本龍一さんは、UPSがそれまで行っていたFAXとメールのやり取りから、インターネットを使用して映像や音声を活用して授業を行っていくスタイルに changeした初年度の生徒さんでした。もう一人岐阜県の他の高校の生徒さんと2人で仲良く授業を行っていたことを昨日のことのように思い出します。
授業前後も生徒さん2人で話が盛り上がっており、それまでの「通信講座は1人で孤独に勉強をしなければいけない」という定説を少しは覆せたのではないかと思った瞬間でした。
龍一さん、おめでとう!

2012.08.24

 

山根みなみさん☆プロフィール

■ 高校: 苫小牧東高校卒

■ 大学: ノースダコタ州立大学(米国ノースダコタ州)卒

■ 就職先: 外資系 医療機器メーカー内定



 

 

こんにちは、山根みなみです。SEAとの出会いは2006年、高校3年次の秋。きっかけは私の高校の先生の紹介でした。高校3年の秋といえば進路のために試験の猛勉強中といったところすが、私はセンター試験の料金を払い、予備校にも通っていたのにもかかわらず進路に迷っていました。そんなとき、私は学校の英語の先生に自分の胸の内を明かしたところ、「こういう進路もあるのではないか。」と手渡してくれたSEAの詳細が書かれた紙が私の人生を大きく変えました。

 

SEAへ入学

私は昔から英語が好きで、「いつかは海外に出たい!」とずっと思っていました。ですが機会がなかなか無く、周りからは「大学へ行ったら交換留学という制度があるじゃないか。」と言われ続けまずは英語が使える大学、または商学部がある大学へ進学し短期留学しようという思いで試験に向けて勉強をしていました。そんなときに先生に進路の相談をしました。日本の大学へ行って短期留学をしても英語力は十分に付くのかという不安な気持ちや、英語力をしっかり付けたいけど、英語だけではなくて商学も学びたいという希望を聞いてもらいました。その時に先生からSEAを紹介され、私は思い切って体験入学へ参加しました。SEAへ足を運び、生徒の皆さんが英語を使って授業をしていて、自分の英語力のなさを実感しました。説明を受けているうちに「海外の大学へ留学したい!これが私の目標だ!」という実感が湧き、留学をするという進路を決めることができました。両親は最初は反対するものの、私の熱意で泣く泣く了承をして頂き、いざ、SEAへ入学となったのでした。その際に吉田さんや聡美さんには私の父の厳しい質問を受け答えして頂き、感謝しております。私がSEAに入学した時点で2006年の秋、入学には前々から出願し、TOEFLのスコアも送らなくてはならないのですが私の親の出した条件は2007年の8月入学というものでした。私のその時点での英語のレベルでは難しかったのですが、吉田さんの提案である、

一日(・・)英語(・・)漬け(・・)という生活をすることで8月入学に向けて取り組みました。特別に高校の授業がなくなった年明けには朝の授業、夜の授業、更には週末の授業、全て受けさせていただき、高校の同級生が着々と進路先を決めていく中、苫小牧から札幌へ通い、TOEFLの点数を上げるよう英語を学んでいました。生活がほぼSEAという中、私の受験英語しかない頭に、生きた英語を叩き込む生活を繰り返しました。結果的に2校から条件付き入学での合格を頂き、North Dakota State Universityに入学することになりました。

 

渡米

渡米当初は、私の英語漬けの生活があったにも関わらず、私の英語は現地の方には理解されず、私も現地の方が何を言っているのか分かりませんでした。そんな日々に私はストレスやホームシックが重なり、つらい毎日を過ごしました。日本の大学へ行っていればきっと今頃新しい友達ができて毎日楽しく過ごしていただろう、何度もそう思いました。私は最初の一年間は大学のプログラムであるESL(語学学校)へ通っていました。そのため、クラスメイトは他の国の留学生で学ぶことはすべて英語でした。他の日本人の生徒は通常の大学のクラスを取っており、友達とも英語で会話ができていたのですが、私にはまったくついていくことが出来なく友達もなかなかできず、私は自分の英語力のなさを改めて痛感しました。そんな中冬休みが近づき、あまりの辛さに「日本へ帰りたい」と両親へ相談しました。私の両親は、「何のためにアメリカへ行かせたのか分からない、そんなに嫌なら大学をやめてバイトでもしたら?」と言い、その時に私はせっかくアメリカに行くまでに説得し、行かせようと決意してくれた両親の苦労を思い返し、残ることを決意しました。この時に日本へ帰っていたらアメリカには戻ってきてはいないと思います。冬休みは大学の寮が閉まってしまうので留学生は旅行へ行ったり、友達のアパートに泊めさせていただいたり、という生活になるのですが、私は旅行へ行かずにある留学生とアメリカ人家庭の交流会のイベントで知り合った家族の家に冬休みの約3週間滞在させていただくことができました。その生活では家のことを手伝ったり、クリスマスを家族で過ごしたり、という一日中英語を使わなくてはならない環境に身を置くことができました。この休暇で英語が少しずつ分かるようになりました。この時から英語を喋るのが楽しくなり、少し分からなくてもすぐに聞き、まずは喋ろう、と思えるようになりました。この経験が私の留学生活を大きく変えることになり、何事にも負けずに絶対に卒業しようという気持ちを持つことができました。

 

大学生活

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私は大学生活の中で勉強はもちろんのこと、人との関わりに重点を置いて生活をしておりました。アメリカで勉強をする、ということはアメリカ人だけではなくその他の多くの国の学生に出会うことになります。私は他の国の文化を学ぶことに楽しみを感じていたのでイベントに参加をしたり、私自身も日本人会の会長になったりと、行事に積極的に学校内のイベントやクラブ活動に参加をしておりました。そして大学内ではアルバイトをし、留学生のオフィスでアシスタントとして働かせていただき、より留学生との交流を深めることができました。その仕事の一つとして夏の英語のプログラムのアシスタントをさせていただきました。このプログラムは秋入学の留学生や夏のあいだの1か月間だけ英語に触れたい、という学生へ向けたプログラムで、午前中は勉強、午後からは大学の周りや街の施設をまわったりするアクティビティがあります。そのプログラムを通して、私は最初の頃の自分を思い返し、英語を学びたいけどうまくいかない、という生徒のケアを楽しみながらすることができたと思っております。

これらの行動が認められ、2012年4月にはGreen and Golden Globe Diversity Awardという賞を頂くことができました。私の大学は気候も厳しく、アメリカのど真ん中ということで、留学生が少なかったので異文化交流や留学生を入学させることに力をとても入れている大学です。その中でEquity and Diversity Department から毎年留学生の中から一人選ばれ、Green and Golden Globe Diversity Award という賞をコミュニティーに対して異文化交流に力を入れている学生に賞をあげています。この賞は私にとってたくさんのことを意味し、受け取ることができたことは言葉に言い表せないほど感動、そして感謝をしております。

 

そして私は2013年4月から社会人になります。アメリカに残るか、日本に残るか、卒業のぎりぎりまで悩みました。私はアメリカで学んだことは一生の宝物だと思い、日本でその経験や知識を活かことを選び、日本に帰国することを選びました。どちらにしていても私は後悔はしていなかったと思います。この就職難の中晴れて就職先も決まり、これで安心するのではなく、これからが始まりだと思い、社会へ出てまだまだもまれてこようと思います。その中でまた一つ成長した自分を見ることができるよう、努力します。

 

留学をする皆さんへ

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今留学するか迷っている方には私は絶対留学を勧めたいと思っております。これから留学される方は思う存分挫折をし、その中で新しい自分を発見してほしいと思います。アメリカは本当に待っているだけでは何も起きません。自分で行動をして、道を切り開く場所だと思っております。つらい時に黙っていても何も始まらないし、楽しいことも黙っているだけでは降ってきません。もちろん、大学生活は楽しいことだけを追い求めてやってはいけません。留学生はアメリカ人の生徒の何倍も勉強をします。図書館に朝までいたり、レッドブル漬けになったり、夜更かししているから肌荒れになって余計ストレス溜まったり…。でもその経験が私を強くしてくれました。そしてすごい人にたくさん出会うことができます。すごいといってもたくさんの意味があり、すごい頭の良い人、すごいおもしろい人、すごいお酒を飲む人…。本当です。その出会い一つ一つが大切で、今の私を支え、モチベーションを高めるきっかけになりました。日本は島国で国内に国境がありません。最近では、日本でもたくさんの外国人を見かけるようになりましたが、日本はずっと日本色を捨てずに日本でいるような気がしてなりません。その中で外を見るということがこれから重要になるでしょう。ニュースで日本人留学生が減っている、という記事を読み、驚くと同時に残念な気持ちになりました。なので一瞬でも迷ったら飛び込んでみてください。飛び込んでみると世界が広がると思います。私もこれからが自分の本当の力の見せ所だと思うので、また新しい世界が広がるようにたくさんのことを吸収したいと思っております。

 

最後に、改めまして、SEAの皆様、同期で留学した方々、そして私の家族には大変お世話になりました。そしてこのような機会を与えていただき、光栄に思っております。2006年の私にはこのようなこと想像もできていない世界でした。ありがとうございました。

2013.02.06

「留学、留楽、留ヶ苦」

中道 博一さん☆プロフィール

札幌月寒高校

CIA(Culinary Institute of America)/米国

ローザンヌホテル学校(Ecole hotelier de Lausanne )/スイス

 


 

 僕が留学を決意しSEAに出会ったのは高校二年のときでした。当時特にやりたいこともなかったときに、父がアメリカのニューヨークにあるCIA(Culinary Institute of America)という料理学校にいかないか?と提案してきたことがきっかけです。もちろんそのときに将来シェフになろうと決めていたわけではなく、ただ海外に行ってみたいという思いだけで決断しました。しかし、いざ蓋を開けてみるとその大学の求めるハードルは高く、TOEFL80点が入学条件でした。最初に僕が受けたTOEFLの点数は25点だったのでものすごく遠く感じましたし、同じクラスの人たちはどんどん合格していくので多少のあせりはありましたが、「自分は自分」という気持ちで挑戦し続けました。結局CIAに入学するまでに2年という長い期間を英語に費やしましたが、今思えばその時の粘りが学校に入ってからの自信につながったと思います。

 

 

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学校に入ってから卒業までの2年間は本当にあっという間でした。正直に言うと、留学中楽しかったのはほんの2%ぐらいで後の98%は大変なことばかりでした。最初は授業についていくのが精一杯(留学生だからといって特別扱いされません)でしたし、友達もできませんでした。そんな中、いろんな文化を持つ人たちとコミュニケーションをとっていく上で僕が一番大事にしなければならないと思っていたことは「自分を見失わない」ということです。なぜなら、そうしないと環境に流されてしまうからです。よく“アメリカナイズ”という言葉を耳にしますが、自分の意思を持たず相手に合わせてばかりいるといつの間にか日本人の良さが失われていくように思います。留学という環境は自分の強さと弱さを客観的に見る機会を与え、自分のアイデンティティーについて考えさせてくれる最高の経験だと思います。厳しい勉強環境もまた僕を成長させてくれました。

 

 CIA卒業間際、自分の中でもっと上のレベルでホスピタリティーの勉強がしてみたいという気持ちが芽生え、スイスにあるローザンヌホテル学校(Ecole hotelier de Lausanne) というところに行くことを決意しました。しかしながら、またそのハードルは高くTOEFLで100点またはIELTSでバンドスコア7.0必要だとわかりました。正直最初は「またTOEFLか~」と思いましたが自分で決めたことなのでまた英語の勉強を始めました。アメリカで2年間勉強していたものの100点というのはかなり難しくまた点数が伸び悩み挫折しそうになりましたが何とかギリギリで点数を取ることができ、入学することができました。僕が今感じていることは、自分の目の前にあることをひたすら諦めず最後まで一生懸命やるということです。そうすればそれが次のステップに必ずつながっていくと思います。僕の場合それは最初のTOEFL80点であり、CIAであり、今回のTOEFL100点でした。もうひとつこれから留学を考えている人に伝えたいことは目標値を妥協してはいけないということです。自分の目指すところがあるなら、それがたとえ遠い目標だとしてもひたむきに諦めずがんばって欲しいです。一生挑戦者のほうが一生チャンピオンより楽しいと思います。

 

 最後になりましたが、まことに勝手ながら今後の目標を書かせていただきます。僕はまだ将来何をしてるか分かりませんが、人の役に立つ仕事をしていければいいなと思っています。そしてSEAやお世話になった人たちへの恩返しとして将来若い人たちに自分が留学して経験してきたことを伝えていきたいと思っています。どうもありがとうございました。

 


 

2012.07.05

池田奨さん☆プロフィール

 

□ 出身校:帯広柏葉高等学校

□ 大学:パーマーカイロプラクティック大学ダベンポート校(2012年10月卒業予定)

□ インターン先: Houston Chiropractic Neurology (http://drgailhenry.com/

□ ブログ: http://fnchiro.wordpress.com/



 

 

2006年夏、期待と不安を胸に日本を飛び出しもうすぐ6年、ようやく僕も卒業を目前にしています。体験談を書かせていただけるということで、この機会に6年間の留学生活を振り返らせていただき、僕の留学生活についてと、これから留学を志している方々に向けて書かせていただきました。

 

「留学前:理想を抱いて」

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僕が留学を志した目的は一言、「カイロプラクティック(以下、カイロ」)を学ぶため」でした。僕は英語が好きでもアメリカに興味があったわけでもありませんでした。きっかけは高1の秋、当時バスケ部だった僕が首のヘルニアにより3日ほど寝たきりで動けなくなったときのことでした。当時の医師曰く、「首の構造が細すぎてバスケのような激しいスポーツに耐えられない、バスケはすぐにやめるべきです。将来、手術が必要かもしれません。」とのことでした。高校生ながらとてもショックで、何とも納得のいかない理由だと思いました。痛みで3日ほどベッドから動けない中、他の治療を探していたとき初めてカイロという言葉を耳にしました。日本でカイロと聞けば、「整体?」「骨盤の歪みを直す?」などといったイメージを思い浮かべるのが大多数だと思います。僕もその一人でしたが、半信半疑に治療を受けてみたところ、首もよくなりバスケも最後まで続けることができました。それ以降、進路に迷っていた僕の頭の中からカイロという言葉が離れませんでした。本やネットで調べ、国内・海外のカイロに携わる人々にも連絡をとりまくりました。カイロはアメリカで確立、現在カナダ・オーストラリア・EU諸国などを含めた約40カ国で法制化されている医療で、これらの国々ではカイロプラクターに診断権がありX線使用も認められ、腰痛ばかりではなく様々な疾患を治療しています。米でカイロ習得には学部課程において基礎理系を含んだ最低90単位(学部課程3年分)を履修し、その後カイロ大学で約4年分のカリキュラム(医科学系とカイロテクニック等)を3学期制(ほぼ休みなし)で最短3年4ヶ月かけて学びます。こうして大学よりDoctor of Chiropractic(DC,第一専門職学位)を取得、国家試験・州試験を突破し、カイロプラクターとなれるのです。高校卒業からDCの学位を取るまで最短で6年4ヶ月。誤解を恐れずに言うと、日本では未法制化なので本当のカイロを学ぶことは不可能です。高2の夏、自身の怪我からおよそ1年でカイロの虜になった僕は、英語のことや文化の違いなどこれっぽちも考えずに留学を決意。(激しい説得の末、今日までサポートしてくれている母親には頭があがりません。)このときに僕の夢、将来のビジョンが固まりました。本場でカイロを学び僕の首のようにカイロからよい効果を得られるのにカイロを受けれない人を助けたい、そして現代医療に加えて、患者さんに有益となりうるありとあらゆる医療(東洋医学もカイロも何でも)を併せて提供する”統合医療”を実現しその一角を成したいと決意し渡米しました。

 

「Undergraduate(学部課程)時代:現実を目にして」

最初の大学はニューヨーク州立大学でした。ここでまず感じたのは自分の英語力の無さです。授業内容の半分も理解できず、焦りながら毎日深夜まで1つの章を何時間もかけて予習復習し、教授のオフィスアワーには一番乗りして、教授を質問攻めにする毎日が始まりました。何とか授業について行こうと毎日教科書にかじりつく毎日でした。自分のやりたい事に直結しない勉強をするということに正直苦痛も感じました。(留学させてもらってとんでもないですね)そんな中、大学の近くにあったカイロのクリニックで見学をさせてもう機会を得て初めて本場のカイロを見れる!興奮しながらクリニックに向かったのですが、そこで見た”本場のカイロ"は日本に多く見られるカイロのように、レントゲン検査も行わずに肩こり・腰痛の患者さんに電気をかけ、ボキッと施術をするといったものでした。これがすべてではないとわかってはいても、自分の描いていた理想と初めて見た本場のカイロでの現実とのギャップは僕に軽い失望感を与えました。(注:日本のカイロ・整体などを批判する意図は全くないことをご理解ください。)

とにかく英語を何とかしなければという焦りから英語オンリーの環境を求めて、ニューイングランド大学に編入したのは2年目のことです。日本人0という環境で、吹っ切れて英語が急激に話せるようになったと思います。それから2年間はカイロの現実をとことん追い求めた時期でしたが、実際のところは留学生活の辛さに打ちのめされながら、期待していたものと目にしたものが異なったことで(今振り返れば、限られた地域のたった一つのクリニックだったのに)、信じていた道が実は張りぼてで崩れていくような感覚でした。しかし、これは逆にカイロをもう一度見つめなすチャンスと捉え、カイロについてゼロからとことん調べなおしました。日本にいたときはできなかったこと、実際のクリニックを数多く見る、たくさんの医療従事者の話を聞く、カイロの有効性を科学的に示す根拠を読み漁る、非カイロ論も知るなど、自分の選択を信じ続けとことん夢への道を追い求めました。

 

「カイロ大学時代:夢を追い求めて」

こうして最初の3年を通し、大多数ではないにしろ僕の求めた理想も現実に実在すること見つけました。腰痛・肩こり・スポーツ障害だけでなく脳性麻痺・自閉症・パーキンソン・ADHDなどの難しい疾患から、頭痛・ヘルニア・不眠症・高血圧・自律神経失調症・生理痛・眩暈など多くの方が悩みを抱えている症状までを他の医療従事者と良好なネットワークを持ちながら治療するクリニック、医師と対等な立場で協力し合い統合医療を実現している医療機関を見つけました。まったく自覚症状がない方への健康維持方法としても大切な役割を果たしています。こうして将来のビジョンを失わずに最初の志を再確認し、2009年ついにカイロ大学(パーマー大学)へ入学しました。それからの勉強は単純に楽しいの一言でした。学部課程で苦しみながらクリアした理系科目に比べ、実際に人間の身体・医療に直結する解剖学・神経学・生理学・診断学・X線学・病理学などは、専門用語に苦労しながらも楽しくて仕方がありませんでした。これは最初の3年間の下積み(学びたい知識への飢え)があってこその反動だったと思います。また最初の3年間よりも英語能力が上がったおかげで、英語の心配よりも勉強内容に集中できたのも楽しくなった要因のひとつに思えます。そしてカイロの世界でもたくさんの専門性があることを学び、自分が求めている理想を実現するためには何が必要かということも具体的になってきました。

 

「誠実に今を」

奨deskにて.JPGのサムネール画像

2011年冬より、実際に大学のクリニックにて外来の患者さんのケアを始めました。初めのうちにあった自分のやっていることに対して「本当に患者さんのプラスになっているのだろうか・・」という不安も、患者さんからの「とても良くなったよ、ありがとう!」という一言や笑顔・ハイタッチをいただき、患者さんとの一つ一つの経験が自信へと繋がっていきました。こうして患者さんのケアを始めてからは毎日が楽しく、この道を選んで本当に良かったと思えるようになりました。10月までにクリアしなければならない卒業条件の患者数をなんとか4月にクリアすることができ、残りの大学生活をキャンパス外のクリニックでインターンを行えることになりました。こうして今はヒューストン神経カイロプラクティックでインターンとして働いています。このクリニックはカイロの中でも機能神経学に特化したクリニックで、僕が追い求めた道も機能神経学にありました。カイロと機能神経学について、興味のある方は是非僕のブログを見てください。いろいろな症例やニュース、健康情報も取り上げています。(最近のニュースではNHLの選手の治療において機能神経学が全米で注目されました。)このクリニックのドクターも地域の医師と良好な関係を持ち、互いの分野を理解し合い協力して患者さんをケアしています。理想に近い形を目の前で学びながら、今自分の進んでいる道に確かな手応えを感じながら、夢に向かって突っ走っている毎日です。これから僕は自分の専門性を極めれるところまで極め、日本に良いものを持って帰りたいと思います。そして、たくさんの人に恩返しさせていただきたいと思っています。

 

「留学を志している方々へ」

かなり長くなってしまいましたが、僕がこれらの経験を通して伝えたいことを書かせていただきます。まず、声を大にして言えることは「無駄なことは何一つなかった」ということです。自分の目指しているものと一見まったく関係のないような勉強や経験でも、あとから必ず自分の財産になります。それが直接役立つかはわかりませんが、苦労してもやり通すという力は必ず財産になります。そして理想と現実とのギャップに苦しんだとき、現実を受け入れた上でひたすら理想を追い求めて進んでいくと、きっと何かが見えてくると思います。自分の夢に向かって進んでいく近道は、今を誠実に生きていく(Seize the day!)ことだと思います。自分の選択に自信をもち後悔しないで前を見る。置かれた状況の中で自分に嘘をつかず誠実に毎日を生きる。辛い状況や経験、ストレスは自分の中の新たな能力を目覚めさせるチャンスです。筑波大学名誉教授で遺伝子学者の村上和雄先生は、以下のように遺伝子をオンにさせる方法を話しています。

"「できる」と思えば遺伝子がオンになり可能性がが広がる。どんな経験でも、それがよい方向へいく兆候ととらえ、すべてプラスと考えることが大事”(「そうだ!絶対うまくいく!」より)

自分の選択に自信を持って誠実に生きる。きっと素晴らしい留学生活と思えるものが得られ、自分の可能性を大きく広げられると思います。

(カイロ・機能神経学について、もっとお知りになりたい方はお気軽にご連絡ください。SEA卒業生の皆様、テキサス州に友人・知人がいらっしゃいましたら、当クリニックのことを広めていただけますと有難いです。)

2011.06.07

前川由希さん

■出身校/北海道札幌開成高等学校

■進学先/Southwest Minnesota State University

■編入先/Minnesota State University, Mankato
 



日本を経ったのは今から6年前のことです。

私はアメリカ中西部のミネソタ州にある小さな町で音楽産業とビジネスを専攻にした大学生活を送りました。そこで出会った家族のような友達、田舎ならではの農 家経験、ハウスパーティ、3年間続けた大学内のプレスクール(小学校の前に行く学校)で子供達との奮闘バイト経験、期末テスト前の地獄週間。。。日本にい ては到底経験できなかったことを通じて今の自分がいます。

 

現在いるニューヨークに来るきっかけは偶然のことでした。大学生生活の最後の単位として残っていたインターンシップ。半年間探しに探し全く見つからず楽天家 の私は人生で初めて真剣な焦りを感じていました。もし見つからなければ休学扱い、卒業もできず就職もできず、なんとも悲惨な事態が待ち構えてました。何枚 も履歴書とカバーレターを送ったものの一行に返事は無く、焦りの気持ちはピークでした。そんな中、最後の賭けとして送った一通の履歴書。第一希望の仕事 だったけれど、どうせ落ちるだろうと思い踏み出せずにいた会社。(というのもすでに別の州にある同じ会社のオフィスからはお断りされていたからです。)も うこれがダメだったら諦めてミネソタに残って大学内のコンサートでも手伝って単位を稼ごう。そう決心していました。

 

数日後、書類通過したので面接に来れるかとの連絡があり、受かるかどうかもわからない状況の中でやるだけやってみようと思いニューヨークに飛びました。

 

「NYには住む場所があるの?」

「探します。」

「知り合いは?」

「いませんが、作ります。」

「英語力は大丈夫?コミュニケーション第一の仕事よ」

「大丈夫です」(嘘ばっかり。ドキドキドキ)

 

その日から数日後、思いも寄らない通知がメールで届きました。簡潔なメールには「おめでとう、来週から来て欲しい」そう書かれていました。あまりにも予想外 の結果で何度も何度もメールを読み返しました。最後の最後で手に入ったのは第一希望だったインターンシップ。人間追い込まれても諦めずにしがみついていけ ば思いもよらない結果が出るのだと身をもって感じた瞬間でした。


 

20110607_01.jpgグラミー賞の運営などを主とするレコーディングアカデミーというNPO企業での夢のインターンシップ経験は自分を何倍も成長させてくれました。世界中の人達を魅了するニューヨークという新しい土地にいきなり飛び込み、インターンとは言えども米系会社での初めての社会経験。出会うとは思ってもいなかった数々のアーティストやプロデューサー達との出会い。すべてが新しい経験で、と にかくがむしゃらでした。とにかく一瞬たりとも見逃したくなかったので、そうなるしかなかったのです。めまぐるしい変化の中で必死になっている私の何より もの救いは外国人である私を理解し、温かく見守ってくれたスタッフ達でした。最初の一ヶ月はひっきりなしにかかる電話対応さえままならなず、一枚のプレス を書くのにも人の何倍も時間がかかりました。それでも仕事は楽しかったし、毎朝オフィスで "Good morning!" と言うと "Morning, how are you-ki, my darling??" といたずらっぽく聞かれたり、誰かが仕事の文句を言ってるかと思いきやレディーガガになりきって踊りだしたりとそんな陽気なスタッフに囲まれていたら笑顔 でいられずにはいられませんでした。


 

20110607_02.jpgインターンシップの最終日にはスタッフ全員からハグをもらい、「今までのインターンの中であなたが一番好きよ!」と言って抱きしめてくれました。経験はも ちろんですが、大げさでもこんな嬉しい言葉をくれる人達に出会えた事が何よりの収穫でした。そんな彼らとはインターンが終わった今でも連絡を取り合い、さ まざまなイベントに招待されたり、お手伝いをさせていもらっています。

 

現在はニューヨークにある 某TVプ ロダクション会社で働く一方、空いてる時間を使ってアート&音楽アーティスト達の所属するエンターテイメント会社で働いています。さまざまなイベントやラ イブの企画運営、ウェブサイトの管理、アーティストのブッキングやマネージメント、プロモーション、映像制作など多岐に渡って活動をしています。2つの全 く違う仕事を両立するのは大変ですが、自分がしたいと思ってやっていることなので苦には感じません。24時間めまぐるしく変化し続けているこの街にいる以 上、いつどこで何が起こるか誰に出会うか分かりません。たまたまネットで見つけた家に一緒に住んでいた女の子達は気がつけばビヨンセやじょんて☆もーにん ぐ、ブリトニースピアーズのバックで踊っていますし、ひょんなことから出会い仲良くさせてもらっているピアニストの方はつい先日カーネギーホールでのデ ビューを飾りました。私自身もつい先日にフランスのアーティスト、レヌビアンやヒップホップ界の大御所クエストラブを含む数々のアーティストとのプロジェ クトを終えた所ですが、今振り返ってみても全く現実味がありません。大好きで何度も何度も聞いたCDの 中の人達が今では普通に目の前で話していたりするのです。こんな状況に自分がいるとは夢にも思っていませんでしたし、今こうやって改めて文章にして書いて いてもヘンテコな気持ちです。とにかく今は成果を感じ取るよりもひたすら行動するのみ。とにかく立ち止まる時間さえもが惜しいのです。
 

留 学生活と今の海外生活を通じて思うことは、“行動力” と “適応力”  がいかに重要かということです。「これをしたい」と思うその瞬間にはその瞬間の行動力が発生し、明日には違うものになっているかもしれません。躊躇するこ とや慎重になることももちろん大事ですが、自分の中にある行動力やエネルギーは一分一秒たりとも無駄にしてはいけないと思うのです。特に留学生活の中では 初めての経験や知らないことがたくさんあります。不安なのは誰もが一緒で、やるかやらないかは自分次第。その瞬間は二度と来ないかもしれないからどうせな らやって失敗したほうが、やらないで後悔するよりずっといいと思うのです。どんな状況であろうと自分の考え方や行動次第でいくらでも方向転換はきくもので す。

 

最後に。

人との出会いはプライスレス!一期一会の心を持ち、大事にしてください。

2010.06.24

新宅ありすさん
■出身校/札幌西高等学校
■進学先/ニューヨーク州立大学オネオンタ校
 



20100624_01.jpg高校3年次に1年間の交換留学を経験し、帰国後アメリカの大学を受験するものの不合格。その後、英単語カードが山積みされた机に1人向かう日々は辛く、毎日が自身との葛藤でした。

そんな中、運命的に出会えたのがSEAです!SEAでは、ありのままの自分を受け入れてくれる同世代のステキな仲間と共に半年間、TOEFL®対策、時には ディスカッションを大いに楽しみました。世界へ羽ばたこう!と頑張る周りの姿に触発され努力した結果、初めて受験した TOEFL®のスコアでNY州立大学合格を勝ち取ることが出来ました。

同時に受験に必要なSAT®のスコアも劇的に200点UPし、一度諦めかけた第一志望大学に再挑戦を果たすことが出来ました!目標は、NY州立大学で力をつけた後、第一志望のカリフォルニアの大学で学ぶことです。

SAT®対策から全てお世話になったSeanはじめ、私を見守りサポートし続けて下さったスタッフの皆さん、そして大好きな SEAフレンズにSpecial Thanks!!! 将来必ず恩返しが出来るよう、子供たちを世界へと導きインスパイアーしていく教師を目指して、世界を舞台に挑戦していきます!

2010.06.22

水野笑華さん
■出身校/東京都立国際高校
■進学先/ニューヨーク州立大学ジェネシオ校
 



20100622_01.jpg日本を飛び立ってから一か月が経ちました。空港での景色や数ヶ月前までの東京での思い出を思い出すと、今、私がここにいることが未だに夢のようです。一か月、早く感じるものだと思っていましたが、私は「まだ一か月しか経ってないのかぁ・・・。」と感じています。

Geneseoは東京の都会とは正反対の環境ですが、Pennsylvaniaでの経験もあって、もうすでに馴染んでいます。また、新しい環境であるから こそ、新しいスタートが初めやすいのだとも思います。Geneseoには、たくさんの素敵な友達と勉強する時間があふれています。

授業は困ることなく、進んでいるので安心しました。何かわからないことがあれば、すぐに友達や、教授に聞きにいき、わからないことを無くしています。日本 の大学に比べたら、何倍もの宿題が毎日課されますが、自分自身で選んだ道であるからこそ、大変だとは思わないし、どんなにつらくても頑張ることができま す。

まだ、始まったばかりで毎日が新しい友達との出会いと多くの宿題の日々ですが、これからも自分で決めたこの道をいかに生かすか常に考え、ベストを尽くして いきたいと思っています。たくさんのサポートをしてくださり、本当にありがとうございました。また、これからもどうぞよろしくお願い致します。

2013.04.10

 

川原杏里さんプロフィール

□ 高校/北星学園女子高等学校
□ 大学/ニューヨーク州立大学プラッツバーグ校
□ 就職先/THE KITANO NEW YORK

 


 

私は去年の12月にSUNY Plattsburgh大学を卒業しました。今はニューヨークシティにあるTHE KITANO HOTEL というところでフロントデスクスタッフとして働いています。アメリカに来てもうすぐ4年になります。今振り返ってみれば、この4年間長かったようで短く、とても充実して密度の濃い時間を過ごしたなぁと感じます。

 

私が留学を決意したのは高校三年生の夏でした。やりたいことが多すぎてなかなか進路が決まらない中、親の「留学したら?」という一言で留学することを決意しました。そしてTOEFLを猛勉強し進学先が決まった後は、毎日がキラキラしていて、「これから新しい場所で自分のしたいことが学べるんだ!」と毎日ワクワクしていました。

 

杏里さん@NY.jpgのサムネール画像

海外へは何回か旅行をしたことがあるのですが、実際に1人でアメリカに行くのは初めてでした。でも不安などは一切なく、まるで遠足に行く幼稚園児のように、毎日ワクワク・ドキドキして眠れませんでした(笑)。大学では楽しいことも、勿論辛いこともありました。勉強についていくのは、やはりとても大変で、周りの人の3倍勉強しないとテストで良い点はとれませんでした。最初の1年は言いたい事があるのに上手く英語で言えなくて、とてももどかしい日々を過ごしたのを覚えています。しかし、日本文化交流会のPROリーダーとして働いたり、プラッツバーグ桜祭りと題した日本食ディナー会でマネージャーとして活躍したり、色々な新しいことに挑戦することで自分自身に対して自信をつけていきました。大学で学んだ事は、「とにかく今自分の目の前にあることに一生懸命になること、そして積極性、行動力。夢だけ語っていても前には進めず実際に積極的に行動しないと何も始まらない。」ということです。

 

私の大学生活は、あるプロフェッサーの言葉で180度変わったように思えます。プロフェッサーがあるクラスで、「生産的な日常を送れない人は、ただ年老いていくだけだ。」という話をしていました。それまで面倒くさがり屋で、昼寝ばっかりしていた私は、彼の言葉を聞いた後、生活を一新し、早寝早起きをしたり時間があれば本を読んだりするようにしました。また毎月の目標を手帳に書くようにしました。その甲斐あって、私の学校生活はとても充実したものになったのかなあと思います。そして卒業後、2ヶ月半のインターンシップを経て、ニューヨークシティにあるホテルで就職することが決まりました。仕事はもの凄く大変で毎日覚えることばかりですが、学校では学べない事、教科書には載っていない事が学べて毎日とても楽しく、充実しています。

 

杏里さん@卒業式.JPGのサムネール画像

「大学留学」、「就職」という2つの目標を達成した今、次の私の目標は「大学院に行くこと」です。今働いているホテルで経験を積んだ後、大学院へ進んでホスピタリティーをもっと奥深く学びたいと思っています。そしてもう1つの目標は、「ただ年老いていく人生ではなく、成長していく人生を送ること。」いくつになっても、常に学ぶ心を忘れないでいたいなと思います。

もし今留学を考えてる人がいたら、私は留学をお勧めします。留学とは、試練の場でもあり、成長する場でもあります。また自分の可能性、そして世界がいっきに広がります。そしてなによりも、英語を通して色々な国の人達と話すのはとても楽しいです!そしてこれから留学する方へ。留学生活を通して色々な事を経験すると思います。楽しい事、つらい事、時には挫折しそうになることもあるかもしれません。その中で、自分をしっかりもって積極的になることを忘れないでください。アメリカでは、積極的に自分から行動していかないと、待っているだけではただ時間が勝手に過ぎていくだけです。

最後に、このすばらしい機会を与えてくれた親、サポートして頂いたSEAの先生方に本当本当に感謝します!どうもありがとうございました。

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