2011.11.21 [ カテゴリ : ]

吉田有さん「世界の中の日本。日本人としてのアイデンティティ」

吉田有さん☆プロフィール
■出身高校/アスペン高校(米国・コロラド州)
■出身大学/エルマイラ大学(米国・ニューヨーク州)
■現在/日本国海上自衛隊 2等海尉
 



20111121_01.jpg初めまして。SEAの留学プログラムを通じ、高校と大学留学を経験しましたOBの吉田 有です。今回、個人的な経験をお話しさせて頂く機会に恵まれ、私の経験が少しでも何らかの形で参考になれば幸いです。
 
私は高校・大学と合わせて約8年間のアメリカ留学を経験しました。大学卒業後は大学院へ進む道を考えていましたが、最終的に日本で就職する決断をしました。理由としては、長期海外生活後に新たに日本社会を肌で感じてみたかったこと、自分が海外で培った能力を日本社会でどれだけ生かせるのかを確かめたかったという二点がありました。様々な職種や就職先を検討した結果、国家公務員を目指すことにしました。大学卒業後の約1年間、公務員試験受験予備校へ通ったことと、アメリカで培った勉強への取り組み方も手伝い、国家公務員II種試験と自衛隊幹部候補生試験の両方に合格しました。国家II種の官庁訪問(1次試験合格後に行われる面接等)の段階で、農林水産省(大臣官房)、厚生労働省(関東信越厚生局 麻薬取締部)、内閣府(内閣情報調査室)等から内定を戴きましたが、最終的に海上自衛隊(以後、海自)幹部への道を選びました。なぜ、海自かというと、軍事という未知の世界において、自分が海外で培ってきた能力をどれだけ生かすことができるのかと考えた点と、海自は、三自衛隊(陸・海・空)の中で最も海外へ進出する機会(訓練等で)が多く、中でも米軍との交流が最も深く、その環境下で自分の力を試すには丁度良いとも考えたからです。もちろん「愛と青春の旅立ち」でのリチャード・ギア演ずる海軍将校の白詰襟制服姿に憧れたことも理由の一つですが。(笑)


2005年3月、海上自衛隊幹部候補生学校(広島県江田島市に所在、その前身は大日本帝国海軍兵学校)に幹部候補生として入校しました。ここで過ごした1年は一生忘れることができないほど内容が濃いものでした。訓練等が厳しいのは無論、ベッドメイク、裁縫、靴磨きが得意になり、特にアイロンがけの腕はプロ並みになりました。そのワケは、候補生は週末になると外出や泊まりが許可されますが、外出前に候補生全員が学生舎前に整列し、制服の服装容儀を点検受け、「合格」しなければ外出できません。ここで、ネックなのがアイロンの技術なのです。点検官に「不備」を指摘されると、その箇所(制服のシワ、靴の磨き不十分、ネクタイの締め付けが甘い、制帽のかぶりが甘いなどなど)を修正し再点検に臨みます。「不備」が重なり、外出が深夜11時頃になった候補生もいたようです。私は「自由」への切符をいち早く手に入れるために、アイロン技術に磨きをかけ、毎回ほぼ確実に一回目の点検で合格していました。この技術だけは他の誰よりも磨き、今でも衰えることなく維持しています。(笑)
雑談はさておき、海自候補生学校には米海軍から英語教官(階級は主に大尉)が連絡官を兼ねて派遣されています。ある英語の授業で話す機会があり、そこで「やっと、まともな英語を話すやつが来たな(Finally, we got someone who speaks real English.)」と言われた一言が印象的でした。前に触れましたが、海自が海外で訓練等をする機会に恵まれ、米海軍との交流が深いのは事実ですが、実状はと言うと、諸外国の軍人達と良好に意思疎通できる人はごく僅かにしか過ぎないのです。


そして卒業時には3等海尉(諸外国軍隊で少尉に相当)へと昇任し、その後、約半年間の遠洋練習航海(この年は中北米コース)へと旅立ち、洋上で訓練を行いつつ各国を訪問しました。遠洋練習航海を終え、部隊へ配属になり。私は「水上艦艇」職域(この他にも「潜水艦」、パイロット職域の「航空(固定翼・回転翼)や、後方職域の「経理補給」、「艦艇装備」、「航空装備」などなど、他にもあります。)に指定され、護衛艦「くらま」(長崎県佐世保市在)砲術士、翌年には、護衛艦「うみぎり」(広島県呉市在)通信士としてそれぞれの艦艇に乗組み、勤務しました。この間の約2年間で二度海外訓練へ行く機会に恵まれました。(1年目:米国派遣訓練、2年目:(教官として)遠洋練習航海(世界一周コース))そして本年3月8日付で外務省へ出向、3月31日現在、在バーレーン王国大使館三等書記官兼在バーレーン米海軍中央司令部付連絡官として勤務しています。仕事内容の詳細は割愛しますが、主に海賊対処に関連する業務に従事しています。残りの任期は約半年の予定ですが、日本では普段なかなか触れることのない中東やアラブの文化・習慣をこの機会を利用し、少しでも理解を深めるつもりです。


話は若干それますが、昔の著名人の多くが海外留学を経験している事実を皆さんはご存じでしょうか。一例を挙げると、夏目漱石(作家)、高木兼寛(医学者)、白洲次郎(官僚・実業家)はイギリスへ、新戸部稲造(教育者)、野口英世(医学者)はアメリカへ、森鴎外(作家、留学当時は陸軍軍医)、滝廉太郎(音楽家)、山田耕作(音楽家)はドイツへ、黒田清輝(画家)、岡本太郎(芸術家)はフランスへそれぞれ留学しました。(もちろん留学をしていなくても、偉人と呼ばれる著名人はたくさんいます。)彼らには海外へ出て、当時日本より進んでいた学問・技術・思想などを学び、更に日本の在り方を海外からの視点で改めて見つめ直すことが可能な立場にあり、また彼らは様々な形で世界の中の日本、日本人としてのアイデンティティを自身の中に確立したと強く感じます。


最後に、今の私があるのは、まさに海外留学で培った貴重な経験あってのものです。もしもあのとき日本に留まり、国内の高校、大学と進学していたならば今の私は存在しません、これは断言できます。日本から海外への第一歩を踏み出す決断を下した自分がいたからこそ、今の私があります。海外へ出ることで、日本に住んでいるだけでは気付くことのできない発見が必ずあります。その発見は必ず自分をポジティブな方向へ導き、自分をより大きく成長させてくれることは間違いありません。日本という名の狭い囲いの中で起こる事象のみを知るだけではなく、昔もそうであったように、今の時代も常にグローバルな視点から日本を、そして自分を見つめ直していくべきだと考えます。




2011.11.13 [ カテゴリ : ]

堀川那奈子さん「この大学に来てよかったと改めて実感しています」

堀川那奈子さんプロフィール☆

 

2007年ニューヨーク州立大学ブロックポート校入学

→2010年 現在同大学在学中

 



20101113_01.jpgこの秋、State University of New York College at Brockportで大学4年目の前期がスタートしました。ダンス専攻の私は、授業と課題の他に、公演等に向けてのリハーサルで、一日の大半をキャンパスで過ごしています。第一週目を終えたときには、すでに一カ月以上の月日が経ったように感じました。週末が無いに等しいほど忙しい毎日ですが、とても充実した生活を送っています。


 

大学では、自分のやる気次第でいくらでも興味のあることに挑戦できます。学問として確立されたダンスの授業では、踊ることだけでなく、様々な視点から研究された各種理論や歴史も学びます。さらに、振付のクラスでは作品の作り方を学ぶと同時に、ダンスの芸術性も追求することができます。これらの授業で自分のダンスに対する考えを深めることにより、理論や知識を持ち合わせた芸術家としてのダンサーの質を高めることができたように思います。


 

4年目を迎え、大学外での活動の場も広まってきました。地域のイベントにダンサーとして参加することなどに加え、ダ ンス学部で知り合った友人の紹介で、大学近郊の都市に拠点を置くダンスカンパニーにも所属することになりました。ダンスの作品を通して様々な人々と関わる 中、信頼関係を築くことが今後の可能性を広げる上でとても大切であることを学びました。大学在学中にこれほど多くの経験ができることをとても幸せに感じて います。


 

今年の夏、ピアニストの姉と共にピアノとダンスの公演を日本で開催しました。 地元の札 幌の他に、東京、横浜でも公演を行うことができ、私たちの昔からの夢だったコラボレーションパフォーマンスを現実にすることができました。また、構成、曲 決め・振付の他、ポスターデザインや、会場決め・照明についてなど、多くの人に力を借りながら一から自分たちの手で作り上げた公演は、全体を通して本当に 貴重な体験になりました。初めてのことばかりだったため、まだまだ学ぶべきことがたくさんあると実感する日々でしたが、この経験は確実に今後につながるも のとなりました。      


 

今 回の日本でのパフォーマンスのように、自ら積極的に発信していける力は留学経験を通して身につけたものだと思います。ここアメリカの大学では、授業を通し 専門分野について学ぶだけでなく、特に留学生特有の異文化交流の体験や言語の違いにより生まれる相手を思いやる心、またダンスを通して人生、生きることに ついて考える機会が多くあります。こうした異なる文化、言語、社会の中での留学経験は、自己確立を高める機会を与え、また強く柔軟な人間として成長するこ とができる可能性を持っています。私自身、大学留学4年目を迎え、この大学に来てよかったと改めて実感しています。




2011.11.01 [ カテゴリ : ]

細谷玲子さん「キャッツに憧れアメリカへ、現在は劇団四季のスタッフに」

細谷玲子さん☆プロフィール
■出身大学/ラマポーカレッジ・オブ・ニュージャージー(米国)
■就職先/四季株式会社 北海道公演本部
 



20111101_01.jpg12歳の冬、初めて出会った劇団四季のミュージカル『キャッツ』。
この作品との出会いをきっかけに、私の人生は大きく変わりました。
あの感動と興奮を味わいたくて、高校卒業までの約6年間、全国各地の劇場に何度も何度も足を運びました。当時、私のわがままに文句ひとつ言わないで、気が済むまで劇場に通わせてくれた両親に今では心から感謝しています。

劇場に通う日々の中、「もっと多くの人にミュージカルを観てほしい!作品を知ってほしい!そしていつか・・・劇団四季で働きたい。」という想いが私の将来の夢に変わりました。
しかし、友人にも心配されるほど引っ込み思案だった私は、将来の夢など決して口には出せませんでした。

高校3年生の夏。自分の夢を叶えるために演劇を学びたい気持ちはあったものの、進路に悩みもがき苦しむ毎日。そんなある日、「留学してみたら?」という母の言葉に心が動き、知人の紹介を受けすぐにSEAの扉を叩きました。
SEAを初めて訪れた日の事を、今でも鮮明に覚えています。
先 生と母と私の三者面談中、大粒の涙とともに、初めて「舞台の勉強がしたい」と口に出すのが精一杯でした。一度発してしまうと、不思議と気持ちが楽になり、 それからはもう舞台一筋の目標に突き進めました。とにかく、ミュージカルの本場ブロードウェイの作品に触れられて、英語も学べるなんて一石二鳥!“アメリ カ留学”は当時の私にとってベストな選択でした。

留学中はもちろん、大好きなTheaterを専攻し、大学の劇場と寮との往復の日々。ア ルバイトは劇場案内係やチケットボックスの販売員、コスチュームデザインの教授のアシスタントなど。週末はブロードウェイに出向きミュージカルやお芝居を 観劇。何よりも、劇場にいる時間が自分の一番好きな時間でした。英語の習得、文化の違いに苦悩した時期もありましたが、周囲の人たちの支えもあって、4年 間の大学生活も無事終了。留学中に出会った多くの人たちや体験は今でも宝物です。

帰国後も、「舞台の感動を届ける」仕事がしたいという夢は変わりませんでした。
帰 国してから2年後、ちょっと遠回りはしましたが、念願だった劇団四季に営業として入社することができました。今年で入社6年目。すぐそばで生の舞台を感 じ、劇場ではお客様の拍手・笑顔に元気をもらえる環境は本当に幸せです。3月からは故郷北海道での公演を担当するために札幌に配属になりました。劇場で、 皆さんにお会いできる日を楽しみにしています!!

最後に、家族、友人、そして親身にサポートしていただいたSEAの皆さんに心から感謝いたします。

劇団四季 北海道公演本部 細谷 玲子

劇団四季オフィシャルウェブサイト 全国の公演情報はこちらから♪ http://www.shiki.gr.jp/




2011.08.05 [ カテゴリ : ]

北村匡さん「アメリカで頑張ってきます!行ってきます!」

北村匡さん☆プロフィール
■出身校/北嶺中・高等学校
■進学先/ニューヨーク州立大学ジェネシオ校(2011年8月)
 



どうも。北村です。

僕 がSEAと出会ったきっかけは小学校からの親友とその小学校で僕を担任として受け持ったある先生でした。いまでは当たり前となった中学受験をしてどうにか 志望した中学校に合格した僕は早速、英語で詰まりました。「英語なんて言葉なんだ!やれば誰だってできるようになる!」たとえあの当時こんなことを言われ ていても僕はさらに英語に対して嫌悪感を抱いていたでしょう(笑)。 

そんな僕は中学校1年生から某予備校に通って英語を勉強しました。 しかしいくらやっても全く楽しく思えませんでした。第一文型、比較級、過去分詞…… 一体何のためになるのだろうか? 英語を勉強することに嫌気がさしていました。そんな時以前SEAを紹介されたことを思い出しました。僕の親友もすでに SEAにお世話になっていたので、興味本位で行ってみることにしました。この興味本位が僕の人生の一つのターニングポイントだったのかなと今は思います。  こときの体験授業の先生はショーン先生でした。この授業をきっかけにSEAに通うこととなりました。このころはまだ英検の為や、学校での授業の理解を深 める為のサポートをしていただいていただけでした。

しかし、中学過程を終えた春休み、僕は大きな決断をしました。TOEFLクラスに参加 するという決断でした。僕の通っていた学校は国内受験をする生徒が毎年99%以上という海外留学に対してのサポートが全く得られない状況での早い決断でし た。その当時の海外留学を決意した理由はただ受験勉強をしなくていい、なんか留学って特別な感じがするな~。こんな程度だった気がします。(笑)
しかしTOEFLクラスが始まってすぐ自分の教養の無さに苦労しました。TOEFLはただ文法、単語、熟語を知っていればいいだけでなく、雲はどのように形成されるのか? 山火事はどうして消されるべき時と消されないべき時があるのかなど幅広い知識が必要です。

20110805_01.jpgそ んな知識もTOEFLの勉強をしていくうちにだんだんと身につき、ある第二の転機が訪れました。修学旅行です。この旅行ではカナダのトロント、アメリカの ニューヨークに行きました。語学学校に通ったり、ホームステイをしたりという経験が僕の留学という事に対しての考え方を大きく変えました。まず同じ人間な のに自分の意思をキチンと伝えられなかったこの悔しさったら無かったですね。僕はなんとか単語を並べて伝えようと頑張りましたが伝わらない事が多々あり、 「Sorry, nothing, never mind !」と言って諦めてしまっていました。そして同時に、英語のパワーに惹かれました。英語はいまや世界の共通語と言ってもよいほど普及しています。英語が話 せるようになるだけで僕が将来活躍できる場が、会話できる人が莫大に増えます。そんな英語のパワーに惹かれました。気がつくのが遅かったですねぇ(笑)。

20110805_02.jpg修学旅行を終えてあっという間に高3の冬がきて 僕はなんとか第一志望の State University of New York at Geneseo に合格することができました。その時の気持ちは、合格したのか!やった! というものでした(笑) なぜこんなに軽いのか? それはやはり自分へのうしろ めたさですね。 正直 死ぬほど勉強しませんでした。高校の友達は最後まで必死に寝る間も惜しんで勉強していました。そんな友達が合格したときの喜びよう は僕にも理解できました。 だってあれだけ頑張ってたもの。 でも自分は? なんだかゆるーく 毎日英語だけ のらりくらり勉強して 勉強しながら涙する こともなく、なんとなく宿題をやって、なんとなくTOEFLをうけて、なんとなく出願して、なんか大学に受かった、そんな自分がうしろめたく感じました。 これは アメリカの大学入試に対しての甘えでした。しかし、そんな僕には、きっとアメリカの大学生活で経験するはずだったことも含めて多くの試練が待って いるでしょう。僕は向こうで どんなに辛くても、どんなに泣いても、決してあきらめずに最後まで戦い続けることを誓って これを抱負とさせていただきま す。

最後に、5年間お世話になったSEAのスタッフの皆様、SEAのお水(笑)、先輩、学友、彼女(笑)、そして何より 僕を毎日すべての面において支えてくれた家族に感謝します。 ありがとうございました!  アメリカで頑張ってきます! 行ってきます!
 



☆編集後記☆
北 村匡くんは、中高一貫教育制度を用いている北嶺高等学校(男子校)出身の利発な生徒さんです。北嶺中学の受験に合格したこと+中学生の時からSEAに通っ てきてくれていたことを考えると本当はもっと上を行くことが出来る生徒さんだったとスタッフ一同考えております。しかし、高校3年時よりSEA内で恋人が でき、恋にハマってしまいましたね!匡くん、これから期待していますよ~!!




2011.07.20 [ カテゴリ : ]

山本龍一さん「どれだけ真剣になれるかが自身を大きく成長させる」

山本龍一さん☆プロフィール
■出身校/県立岐阜高校
■進学先/ユタ州立大学
■卒業/同大学・大学院2011年12月卒業予定
■内定先/独立行政法人 宇宙航空研究開発機構(JAXA)

 



高 校生時代の自分は、お世辞にも誇れるものではありませんでした。宇宙開発に憧れながらも部活にかまけて学生の本文である勉強を怠る日々。ふと自分の立場に 気付いた時は、既に三年生の夏。「このまま挑んでも間違いなく落ちて、浪人生になるだろう。そうなったときに勉強に対して真剣になれるのか。」自分の今ま での生活を顧みて、間違いなくさらに堕落してしまうと感じた自分は、荒療治に乗り出しました。身一つで学ぶ、留学という選択です。これは当時、高校留学を 経験していた同級生の影響もありました。

岐阜に住んでいた自分がSEAを知るようになったのは、留学について詳しく調べるため名古屋のアルクを訪れた際に、吉田さんと偶然出会うことができたからでした。今思えば、この偶然がすべての始まりだったのかもしれません。
吉 田さんに紹介され、当時新しくできたばかりのUPS講座(*)を利用しTOEFLについての対策を体系的に学び、留学に必要最低限の実力を短期間で身に着 けることができました。そして最終的に紹介された大学の中から決めたのがユタ州立大学です。ここを選んだのは、航空工学系のプログラムが優れていることは もちろん、日本人留学生が少なく自分を孤立させ成長させることができると感じたからです。

大学に入学してからは、思っていた以上にハード な日々が待ち受けていました。特に入学一年目はホワイトボードに書かれることを理解することすら難しく、授業内容こそいま振り返ってみればそれほど難解な 物でもなかったのですが、それが英語で表現されるだけで途端に解けなくなり、自分の実力のなさに悔し涙を流したこともありました。ただ、ここで折れれば何 も残らないという危機感と、大学に通うため仕送りをしてくれる親に報いるためにも、最後まで諦めずにやり抜こうと決め、ひたむきに学生生活を送ることで2 年目、3年目には学科で最優秀成績者として表彰されました。退路を断ち半ば無理やりに情熱のベクトルを勉強に向けさせましたが、結果的にはそれが自分に とってベストだったのだと思います。

20110720_01.jpg前 までは漠然と「宇宙開発をしたいなぁ」と半ば妄想のようだった自分の夢がだんだん手の届くかもしれないものとして輪郭を帯びてくると、辛くとも不思議とや る気が湧いてきました。勉強だけでなく留学生生徒会やロケットクラブ、アルバイトなど、自分の興味のあること、好きなことにもどんどんチャレンジしまし た。

卒業研究では、NASAの主催する大会に向けロケットをチームメイトと協力して設計、製作をしました。自分は航空機や人工衛星の誘 導、制御システムに興味を持って勉強しており、その力を発揮しつつ、新たに学ぶためにチーム内ではロケットに組み込む軌道制御プログラムの担当をしまし た。途中大きなミスもありましたが、教授に怒られながら、チームメイトに支えられながらなんとか形にすることができたと思います。大会では参加した29大 学中、総合1位の成績を収めることができ、仲間と喜びあったのを今でも鮮明に覚えています。

20110720_02.jpgそ ういったバックグラウンドを通して、今年の4月に日本に帰国し本格的な就職活動に臨みました。面接のため東京などに出向くだけでなく、学期中のため大学の 授業もオンラインで受けなければならず、この時期も忙しかったです。特に、面接の練習やエントリーシートの書き方、OB訪問、説明会など日本の大学生と比 べわからないことや実行できないことが多くありました…が、不安はなぜかそれほどありませんでした。それまでに培ってきた高校生までの自分とは全く違う四 年の日々が、そのまま自信という対価になって返ってきたからだと思います。面接にも適度な緊張感で臨め、雰囲気にのまれずありのままの自分を表現できたと 思います。

留学に求めるものは人それぞれ違いますが、それに対してどれだけ真剣になれるかが自身を大きく成長させる鍵だと思います(留学 に限らず、国内の大学でも全く同じことが言えますが、留学する人の方が明確な意思を持っていそうだという意味で)。とはいえ、国こそ違えど周りは同じ大学 生。一緒になって遊び、勉強していく仲間が周りにいるので気負い過ぎる必要は全くないと思います。苦しい時はSEAの方と話して息抜きしてみるのもいいと 思います。自分も一度考えていたトランスファーについてや就職先について相談させていただきました。留学に対して過度の緊張はせず、期待と余裕を持って、 夢に向かって思い切り走り抜けてください。
 



(*)UPS講座とは、SEA国際教育研究所で行っている通信プログラムのことで、インターネットによる映像と音声を活用したコミュニケーションを駆使しながら進めていきます。ご自宅に居ながら留学準備が可能になります。

☆☆☆編集後記☆☆☆
山 本龍一さんは、UPSがそれまで行っていたFAXとメールのやり取りから、インターネットを使用して映像や音声を活用して授業を行っていくスタイルに changeした初年度の生徒さんでした。もう一人岐阜県の他の高校の生徒さんと2人で仲良く授業を行っていたことを昨日のことのように思い出します。
授業前後も生徒さん2人で話が盛り上がっており、それまでの「通信講座は1人で孤独に勉強をしなければいけない」という定説を少しは覆せたのではないかと思った瞬間でした。
龍一さん、おめでとう!